tanayasu99(たなやす)です。
以前、当ブログで那珂八景について少しだけ触れましたが、今回は思いっ切り触れたいと思います。那珂八景の全箇所を網羅・紹介しているページが見当たりません。どうせなら、那珂市公式ホームページで紹介して欲しいぐらいです。と、思う一方で、もしかしたら市民の間だけで、ひっそりと楽しみたいのかも知れません?
いつの日か、クロスバイクで1日で巡ってみたいので、予習も兼ねて各地について記事にしてみます。
那珂八景とは
初期の那珂八景
那珂市の「環境美化」、なかなか塾が目標とする「ふるさと再発見と観光資源開発」の理念に基づき、なかなか塾と市民(一般公募)によって平成8年(1996年)に「那珂八景」を選定、平成9年(1997年)に「那珂八景」を制定したそうです。那珂市になる前(合併前)の那珂町時代の八景で、一般公募から選定されたとのこと。那珂町時代から広域だったのかと少し驚いたりw。参考にすると良い情報が、地元広報誌「広報なか」2008 No.42 10/26ページの内容である。那珂八景の内訳は次のとおりです。
そう...。時代と共に埋もれて忘れられ、資料不足で伝承しきれず、都市開発の都合もあったり、消えそうな八景もあるのです。「那珂町八景」「本米崎八景」「額田八景」「菅谷八景」「瓜連八景」「門部八景」「古徳八景」...広報スタッフは、よく調べてまとめたんだろうなぁと感服する。なお、「古徳八景」にいては、4ヶ所までしか判明していないそうです。
新那珂八景
現代において、さらなる最新の那珂八景がある。その名も「新那珂八景」である。この八景は、合併し、誕生した「那珂市」の範囲で再選定された。とはいえ、中身は瓜連地区内の景勝地を加えたものである。これもまた、まとまった情報が少なく、参考にすると良いのは、地元広報誌「広報なか」2009 No.49 21/28ページの内容である。「新那珂八景」の内訳は次のとおりです。標柱は新しく立てられたようで、真新しさがあります。が、しかし、標柱には「新那珂八景」ではなく「那珂八景」とあるので、誰も「新那珂八景」とは気付かない。なので、新しく加わった「那珂八景」なんだな程度に留めておくと良いかもしれない。なお、古徳沼にあった標柱は...。標柱の位置から見渡してみたいので、ここではちょっと重要視していきます。それと、本記事では「新那珂八景」として選定された場所でも、単に「那珂八景」と称するかもしれない。
もう少しプチ情報。
なかなか塾とは、那珂市の市民活動団体である。花壇整備、道路除草作業、新那珂八景写生コンテストの開催が主な活動のようである。
地元広報誌は那珂市のホームページより、バックナンバーとして参照することが可能である。
では、各景勝地について、詳しく記していきたいと思います。情報が収集しきれず、正確な由来や景観が分からない所がありますが、去年巡った時の写真や状況を交えて、出来るだけ推測・想像して記事にしてみます。
笠松運動公園
那珂八景・新那珂八景共通。Googleマップにも那珂八景として登場しています。公園内で那珂市の領域になる所に那珂八景の標柱があります。景観としては、イチョウ並木が良い感じで、多くの方が写真をアップしています。分かりやすく、素晴らしい景観です。
笠松運動公園は、ひたちなか市、那珂市、東海村にまたがる運動公園です。ウォーキングやランニングをはじめ、テニスやクライミングウォール、アイススケート、各種屋内スポーツなどなど運動する場所として親しまれています。
ほぼ毎年「くるまフェア大展車会」の会場になったり、2019年には国体競技場としても使われました。2020年新型コロナの影響で世界フィギュアスケート選手権が中止になった際に荒川静香選手がここのスケートリンクを滑走したのは記憶に新しいかな。いろいろ活用される施設だったりします。
駐車場はあちこちに分かれていますが、結構広いです。自転車置き場もあります。ウォーキングやランニングが多いので、自転車走行するのは危険な気がします。
幸久大橋と額田神社
那珂八景・新那珂八景共通。幸久大橋は久慈川にかかり、那珂市と常陸太田市を繋ぐ大きめの橋です。橋の途中にはベンチがあり、久慈川と夕焼けの取り合わせが良い感じです。近年、全2車線から全4車線化し、交通の要所として進化しています。なお、橋脚撤去中の幸久橋とは別物です。
幸久大橋にある標柱は文字が薄れて、ほとんど読めませんが、イメージしながら見ると「幸久大橋と額田神社」と読めなくもない。道路なので、駐車場はありませんが、橋脚を撤去している幸久橋跡へ続く道路に停めるとか?
額田神社という呼び名は俗称であり、正式には「鹿島八幡神社」という。「額田まつり」「山車」「神輿」など伝統が受け継がれているようです。特に「山車」「神輿」は日光東照宮にある彫刻の流れをくむ彫刻師や近隣の宮大工によって建造されたのだとか。リンク先の写真を見ると、確かに面影があるような。
額田周辺のパワースポット、いろんな活動が細かく記録されています。素晴らしい。
鹿島八幡神社(額田神社)ホームページ
茨城県那珂市額田観光案内(額田城・額田藩等の名所・史跡・パワースポット):額田城跡保存会
参道には幹が太く、樹齢何百年だろう?と思うような、桜があります。山桜とのこと。
額田神社には、幸久大橋にあったものと同じ標柱がありました。風化は抑えられているようで、文字がはっきり読める状態でした。最初、こっちの標柱を先に見つけて、近くだし幸久大橋には標柱が無いのだろうと思い込んでいましたが、存在感薄くして在りましたね。
額田神社に車を停められるスペースはあるが、看板の文字を読む限り進入できないと思う。周辺のパワースポットを巡ることも計画に入れて、毘盧遮那寺(びるしゃな)や額田コミュニティ広場、阿弥陀寺のいずれかに車を停めて巡って行くのがよろしいかと。ちなみに毘盧遮那寺の「遮那」は、どこかで聞いた事があるなぁと思ったら、鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟・源義経の幼名「遮那王」でした。牛若丸の後の名前みたいですね。
一の関池と中央公民館
那珂八景のみの表記。新那珂八景では、「白鳥の飛来地一の関池と古徳沼」になっており、中央公民館は選定から外れたようです。一の関池には、白鳥が飛来し、周辺は公園化しています(一の関ため池親水公園)。曲がり屋という古風な茅葺屋根の家屋があり、イベントが催されていることもあるようです。
一の関ため池親水公園 | 那珂市観光協会公式ホームページ
一の関池からすぐ近くの中央公民館は...なんでしょうね。憩いの場?...公民館ってもっと小規模なイメージがありましたが、集会ホール、会議室、調理室などの設備が整っているようなので、少し大きめのようです。ひたちなか文化会館の規模に近い気がする。サークル活動として利用されているみたい。「根本正」に関するサークル団体もここで活動しているようです。那珂八景のとある1景を紐解くのにとても参考になりました。この後、記事のどこかで記します。
平成31年度 定期利用団体一覧(内容順) ~那珂市中央公民館で活動しているサークルのご紹介です。~
標柱は、一の関池の方で発見しました。中央公民館の方にも、標柱があるのかは分かりません。駐車場は、一の関池・中央公民館ともにあります。
宮の池と不動院
那珂八景・新那珂八景共通。宮の池は桜並木が印象的ですね。標柱は、宮の池の南側にあります。すみずみまで散策したことがないのですが、リンク先にあるような風景もあり、良さそうな所です。
いい那珂暮らし 宮の池公園
真言宗の寺院である不動院。水戸光圀の命令により再興され、武田山不動院大聖寺に改称されたんだとか。イチョウ、カヤの木の巨木っぷりが印象的です。イチョウは市指定文化財に登録されており、推定樹齢 約300年、樹高 約20m、目通幹周囲4.6m、根回り7.2mという。カヤは県指定文化財に登録されており、推定樹齢 約650年、樹高 約30m、目通幹周囲5.5m、根回り14.5mという。
不動院|那珂市 野外観察/自然体験ガイド
76.市指定文化財【不動院のイチョウ】 | 那珂市公式ホームページ
27.県指定文化財【不動院のカヤ】 | 那珂市公式ホームページ
他にも、文化財があるようです。
なんとなく入りづらい雰囲気があったのですが、北側が整備されてからは入りやすかったです。自転車で移動しているせいですね。徒歩だったら、門から普通に行きます。
標柱は、庭園のような所に立っています。Googleストリートビューでは確認できない位置でした。
清水寺と五台文教地区
那珂八景・新那珂八景共通。清水寺のフルネームは、「東皐山清水寺」(とうこうざん しみずじ)のようです。「那珂市 清水寺」で検索して右側を見ると、なーんだ公式ウェブサイトあるんだぁと思ったら、京都の清水寺という(笑)。ここは、大きな杉の木が印象的です。推定樹齢 約500年、樹高 約30m、目通幹周囲5.2m、根回り9.5mという。周囲が開けているせいか、不動院のカヤの木より、大きく感じます。
70.市指定文化財【清水寺の杉】 | 那珂市公式ホームページ
清水寺の眼下には、清水洞の上 公園となっており、遊歩道が整備され、桜・蛍・菖蒲・かきつばたなどを見る事が出来るそうです。木道もあり、良い雰囲気を出しています。散歩には良さそうです。これらの環境は、とある団体の並々ならぬ活動の成果なんだと思います。
清水洞の上自然を守る会
Ameblo版→清水洞の上自然を守る会
五台文教地区の由来について。
まず「五台」というのは、今の那珂市には無い地名のようです。学校の名称などに残ってたりしますが。かつては、豊喰新田・東木倉村・西木倉村・後台村・中台村が合併した「五台村」が、1889年(明治22年)から1955年(昭和30年)まで、茨城県那珂郡に存在していました。以降、時代の流れと共に水戸市・勝田市・ひたちなか市と変遷していきます。那珂市には「那珂市後台」、ひたちなか市には「ひたちなか市後台」として残っているようです。
次に「文教地区」というは、教育関連施設が集まった地区・地域のことを指します。清水寺(清水洞の上公園)にあった説明板によれば、大学・高校・小学校があったからという風に読み取れます。なんだか、ちょっと腑に落ちず荒探し。1景2ヶ所の標柱なので、五台文教地区として別の場所にも標柱があったりするんじゃないかとも考えて、いろいろ調べました。その過程で、「根本正(ねもと しょう)」氏の情報に遭遇します。幕末の水戸藩士、明治・大正時代の衆議院議員として活躍された方です。現在、未成年の健康に配慮し、飲酒禁止、喫煙禁止になっているのは、この人の成果でしょう(未成年者喫煙禁止法・未成年者飲酒禁止法)。また、授業料の撤廃や水郡線鉄道建設にも尽力しています(国民教育授業料全廃の建議、水郡線鉄道建設に関する建議)。...教育関連に限らず多岐に渡り活躍しておられますね。この方の出身地が、茨城県那珂郡東木倉村(ひがしきのくらむら)。つまり、那珂郡五台村の出身ともいえる。文教地区にまで発展した由縁は、地元の先人に根本正氏が居たからではないかと。そんな情報が載せられていた根本正顕彰会の会報をネットで拝見した時に、「五台文教地区」としての選定・名称が腑に落ちました。那珂市に関する都市計画資料にも「五台地区は文教地区として」などの文言が見受けられ、今もなお、大切にされ、地域発展の軸になっていると思います。
標柱に関しては、たぶん清水寺にあった1本だけですかね。駐車場もあり、行きやすいです。
粟原の釣り場と下河原
那珂八景・新那珂八景共通。息が詰まるような暑さでも、ビーチパラソルのようなものを張って、のんびり釣りをしておられる方が居る程、人気の釣り場といったところでしょうか。たまに釣り大会を催しているそうです。東日本大震災で滅茶苦茶になったことも印象的です。今はすっかり綺麗になっています。...そう綺麗になったようですが、標柱がどっかいっちゃったままですよ。ネットで検索すると、震災前の写真がヒットし、この位置に立っていたのかと把握することはできます。
駐車場というか、車を停められるスペースはあります。
下河原という地名があって、久慈川の南側あたりです。どういう景観を楽しむのが良いのか、正確なことが分かりません。下河原の田園風景が良いのかなぁ...。位置的には、粟原の釣り場と同じではないようなので、こっちはこっちで標柱が1本立っていてもおかしくなさそうですが、ちょっと分からないですねぇ。
県民の森と運動公園
那珂八景・新那珂八景共通。県民の森には、森の中へ散策しに来たことがあります。というか、犬の散歩。登りあり、下りあり、途中で砂利道ありという...基本は森なので、カートや車椅子には厳しいですね。自作の大型犬カートで、よく行って戻ってきたなぁと思います。
県民の森の駐車場は無料ですが、入場時間が決まっているので要注意。標柱は、自転車の進入すら禁止されている先にあります。駐車場沿いには池があり、カモ、白鳥も居たことがあります。
茨城県植物園の管轄施設だったのか。
茨城県植物園>施設案内>県民の森
県民の森から車で考えれば近くですが、徒歩で往復する気にはならないだろう位置に総合公園があります。こちらはこちらで、標柱があって、驚きましたね。総合公園としては、野球やテニスコート、屋内プールなどの施設があります。散歩するのにも良いです。紫陽花や桜が綺麗です。歴史民俗資料館は入館無料で、那珂市のことについて紹介・展示しています。佐竹氏のこと、地元の政治家など、へーそーなんだーって感じですかね。去年行った時は、出土した土器などを直接触ることが出来る特設コーナーがありました。どうやら、直接触れるのは珍しいみたいで、わざわざ都内から来ていた方が居ました。ここで触れなかったら新潟まで行く予定だったんだとか。土器類には興味があまりないので、真意の程はよく分かりません(笑)。
那珂市教育委員会 歴史民俗資料館展示内容
下江戸河原と千代橋
那珂八景・新那珂八景共通。下江戸河原は、那珂川の河原でバーベキューなど楽しむところ...だったようです?去年は那珂市のホームページにも載っていたのですが、ホームページがリニューアルされたせいか見れなくなっています。Googleの検索結果には残っています。利用者のマナーが悪かったみたいですね。事実上の利用・進入禁止っぽいです。景観的には、下江戸河原と千代橋の取り合わせなんでしょうかね。
那珂川を利用した暮らしぶり、石から考える歴史など、学ぶことがあったそうですね。
下江戸川原|那珂市 野外観察/自然体験ガイド
那珂川、下江戸河原にかかる千代橋。東茨城郡城里町と那珂市を繋いでいる。調べてみると、「1986年(昭和61年) 8/5 台風10号による千代橋の一部が流失」という文面を発見した。その後、「1989年(平成元年) 2/28 新千代橋開通」となっていた。...地獄橋だった時代もあったのかなぁ。
「初代 千代橋 流失」で検索すると、崩壊時の写真を載せているサイトを発見した。橋のほぼ中央あたりが崩壊していた。この時の台風というか熱帯低気圧による記録的な豪雨と洪水で、多くの被害が出たんだとか。
詳しい事は分かりませんが、流失後の衛星写真を見ると、南側に橋が見えます。新しくなった後は、その橋はなくなっています。一時的な生活用通路・橋だったのでしょうか。最新であろう衛星写真と過去の衛星写真を比べてみると、どうやら新しい千代橋は位置をずらして作られたものだということが分かる。初代千代橋の名残を少しだけ見えた気がした。
千代橋の那珂市側(北東?)に標柱があります。実は、去年クロスバイクで行った時には、下江戸河原への進入口が分からず、疲弊していたこともあり、この標柱の確認で満足していました。位置的にほぼ同じだし、ここは1本だけでしょう。
白鳥の飛来地一の関池と古徳沼
新那珂八景のみの表記。一の関池については、前述のとおり。瓜連地区からの選定となり、「白鳥の飛来地」繋がりで一の関池とまとめられたのかな。「広報なか」には「白鳥の飛来地一の関池と古徳沼」と書かれていたが、初めて古徳沼を訪れた時にあった標柱は、「那珂八景 古徳沼」となっていた。久しぶりに、去年訪れた時には、標柱そのものがありませんでした。根元から人的に切断処理されたようでした。意外にもGoogleストリートビューの更新日が新しくて、標柱がありません。確かに、朽ち果てて、強風などでどっかに吹っ飛ぶぐらいなら処理した方が良いかもしれませんが、真相は分かりません。
静峰ふるさと公園と静神社
新那珂八景のみの表記。瓜連地区からの選定です。静峰ふるさと公園は八重桜が有名。駐車場は公園内外にある。祭りの時期は有料となり、道路の混み具合はとんでもないことになる。
最近は、都心部から人材を召喚し、「地域おこし協力隊」として活動するというプロジェクトがあり、この公園がプロジェクトの舞台となっています。定期的な集客イベントを行うそうです。
那珂市ホームページ→那珂市初の地域おこし協力隊を委嘱しました
常陸二ノ宮 静神社。ご利益としては、合格祈願・交通安全・商売繁盛・家内安全があるみたいです。
公式ホームページ→常陸二ノ宮 静神社
道路から見ると、立派な鳥居と、この先に本殿があるのだろうと思わせる階段がそびえる。境内には、目通り周囲6.5mの神木がある。願いが叶うようにと、周囲を千度廻る風習があったらしく、千度杉と呼ばれている。
標柱は、静峰ふるさと公園の方に1つだけ確認しました。静神社の境内にもあるかもしれませんが、未確認です。
常福寺と瓜連城跡
新那珂八景のみの表記。常福寺は、1405年(応永12年)に瓜連城跡である現在地に移されたとのこと。説明板によると...。
延元年間、了実上人(りょうじつしょうにん)が春日川(かすがわ)のほとり(瓜連白蓮(びゃくれん)塚付近)に創建したと伝えられ 佐竹義篤(よしあつ)は、寺地、仏供料(くりょう)を寄進して祈願所とした。
立派な楼門が目立ちますが、まずは山門、楼門、唐門、本堂へと見ていくと良いでしょう。しかし、常福寺の楼門の右隣に駐車場があるので、一旦道路を渡って、山門まで戻って見るイメージですね。
常福寺ホームページには少し前の写真が多く見受けられ、周辺の昔はこんな感じだったのかと少し楽しめた。
常福寺ホームページ
参考→知らないなんて もったいない!いばらき(2020.1.1→3.31)|小さな旅:JR東日本
本堂裏側に瓜連城跡の遺構が見られるそうです。南北朝争乱の時代、楠木正成の一族・楠木正家が籠る瓜連城を、北朝方の佐竹義篤が包囲し攻撃。この時に、瓜連城は廃城したそうな。瓜連城の本丸跡に、常福寺が建てられているんだとか。
標柱は、楼門から本堂に向かう途中の左側にある。1柱2表記であるが、同じ場所なので1本だけということで良いのかな。
近隣の八景について
以上、那珂八景でしたが、近隣の八景も触れておきます。水戸八景、中根八景、勝倉八景、東海十二景がありますが、いずれも市や村の公式ホームページで紹介されています。調べてみると、他にもマイナーすぎる八景がいろいろありすぎだろwとか思います。水戸八景について
当時は常陸八景と言われていたらしい。水戸藩主・徳川斉昭氏によって、中国の瀟湘八景(しょうしょうはっけい)に倣って、水戸藩内の景勝地8ヶ所が選ばれている。天保4年に選定というのが定説らしい。当時の水戸藩の範囲で点在しているので、現代では水戸市、ひたちなか市、常陸太田市、東海村にいきわたります。各役所役場ホームページにて紹介されています。一部自分の所だけの紹介に留まっている点については、なんか残念ですが、水戸八景の知名度に免じて良しとしましょうw。水戸市ホームページ→天保のウオークラリー水戸八景(PDFファイル)
ひたちなか市ホームページ→【文化財講座】水戸八景講座
常陸太田市ホームページ→山寺晩鐘の碑、太田落雁
東海村もとい東海村観光協会→水戸藩内の八つの景勝地 水戸八景
観光いばらき→「水戸八景」の検索結果
調べていたら、新水戸八景が出てきた(笑)。あったんだ。
https://www.city.mito.lg.jp/000271/000273/000288/000361/001891/mitokeikan.html
https://www.city.mito.lg.jp/001373/koubunkarejji/p015672_d/fil/shinmitohakkei.pdf
水戸市にて、「あなたが見つけた水戸の景観」という募集をしているようです。応募期間は、令和2年2月15日(土)~8月31日(月)です。詳細はリンク先を要チェックです。八景=8ヶ所にこだわらず、数十か所の素晴らしき景観が厳選されることを期待しています。新新水戸八景とか名称は辞めて欲しいですw。「水戸の景観2020厳選」とかで良いです、定期的にやれば良いじゃない。
それと、リンク先には、千波湖八景・水戸八景・新水戸八景・平成版内原の景色10選・塩崎八景・常澄村観光八景が紹介され、巡りたいマンとしては、そそられました(笑)。あ、水戸八景は巡り済み。
湊八景、中根八景、勝倉八景について
ひたちなか市ホームページ→PDFファイル(ひたちなか市八景めぐり 全4頁 PDFファイル10.3MB)(親階層ページ→https://www.city.hitachinaka.lg.jp/kanko_site/1/2/6908.html)
パンフレットの紙媒体は、教育委員会文化財室(第3庁舎の2階?)・埋蔵文化財調査センター・武田氏館にて無料配布しているそうです。
...勝倉八景は、場所について記されていないw。
東海十二景について
東海村内の12ヶ所を選定した東海十二景。1景に2ヶ所ぶち込むという荒っぽいまとめ方はせず、いさぎよく1景1ヶ所、全12景とした点が良い。何が何でも瀟湘八景に倣う必要はないと思う。何が何でも瀟湘八景の「八景」にあやからなくて良いと思う。東海村ホームページ→東海十二景
東海村観光協会→東海十二景 東海村の景勝地
意外なことに、選定した十二景の管理・運用について会議したこともあったようです。
とうかい環境村民会議→東海十二景の運用及び管理に関する提言書
駐車場の整備もあがっており、確かにそれだよ!!と思う。近くのコミュニティセンターや公民館の駐車場利用を可能にするとか、新たに整備するとかしないといけなさそうなので難しい点ではある。ウォーキングプランには笑った。登り坂が多めで、自転車でも苦労して巡られている記事を拝見したことがある。一巡すると30kmぐらいだったかな。
後記
那珂八景の運用・管理がどうなっているのか分からないが、由来や映像(写真・絵)など残っていれば、良いと思う。自然災害で意図せず失われることもあるだろう。都市開発でうっかり無くなることだってあるだろう。振り返った時に、そんなネタもあったんだな。そう思えたら良いんじゃないだろうか。見渡せば八景だらけで、他の都道府県もこんなにあるもんなのかなと調べてみた。とある資料を発見し、茨城県が特別に多いということが分かった(笑)。いち資料に過ぎないと思うし、情報の精度はなんとも言えない。しかし、全国トップの多さは、水戸藩主・徳川斉昭氏によって「水戸八景」が制定、庶民に親しまれ、大切にされてきたことが、広まり継承されてきたことが一因だろうと思う。河和田八景は、水戸八景のほぼ直後(天保13年頃)、庶民によって選ばれ継承されています。広まる力、継承する力を感じます。
科学技術情報発信・流通総合システム「J-Stage」にて、「八景」で検索すると、いくつもの資料が見られる。
この記事を書いてる時は、新型コロナで外出する気も失せているが、いつの日か気兼ねなく外出できたら1日1巡したいと計画するのでした。そう、那珂八景をクロスバイクで1日で巡るのだ。
おわり。
👇那珂八景ひと巡り出来た話🚴。
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