明智光秀ゆかりの地?!そんな訳ないだろう。常陸大宮市「明地知遺跡」って何なんですか?!

2020年7月21日火曜日

サイクリング計画

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こんばんは。
tanayasu99(たなやす)です。

常陸大宮の三浦杉公園までのサイクリングを検討しています。山道ヤバそうとか思いつつ、だいたい平坦そうな農道を走って行けないだろうかと、ストリートビューを見ていたら、「明地知遺跡」という標柱を見つけた。

町や市で管理しているのだろうと思い、検索すれば由緒とか出てくるのかなぁと思ったのだが、まったく出てこない。
(;´・ω・)まさかの情報ゼロ。

常陸大宮市の遺跡といえば、泉坂下遺跡

役所のホームページにて、遺跡について調べると、泉坂下遺跡がヒットした。確かにあったような記憶がある。目的の遺跡とは関係ないが、遺跡に興味をもって調べたいので、寄り道してみた。

【泉坂下遺跡-いずみさかしたいせき】

行ったことはありませんが、近くをドライブしたり、サイクリングした時に、幟(旗)が立っていたのを覚えています。へぇー国重要文化財があるんですかーって感じで通り過ぎただけ。

正確には、遺跡としては「国史跡指定」、出土したもの(国内最大級の人面付壺形土器)が「国指定重要文化財」となっているようです。埴輪のようなものがプリントされた幟(旗)が印象的だったのですが、どうやら土器だったようですね。市のページでは、W指定という盛り上がりを見せています(笑)。素晴らしい。

常陸大宮市のなかでは、国指定重要文化財の第1号だったということもあり、道の駅常陸大宮やJR常陸大宮駅で号外を配る程のビッグニュースだったみたい。

人面付壺形土器については、「いずみ」と名付けられ、推定年齢2300~2200歳と言われており、だい~ぶ愛着をもっているようです(笑)。熱い想いが伝わってきますね。

この遺跡の凄さは、弥生時代中期(約2300~2200年前)の再葬墓遺跡ということらしい。ちょっと何言っているのか分からない...とか思ったり。

どうやら、この時代、主に東日本において、再葬墓(さいそうぼ)という風習があったみたい。遺体を埋めたり、ほら穴などに置いて一度葬り、骨になった頃に再び壺などに入れるらしい。骨にする期間があるってことかな。今みたいな火葬設備がないとそういうことになるのかね。

この特徴ある痕跡が見られるのは、この近くだと「小野天神前遺跡」という所らしい。同じように人面付土器が出土したんだとか。遺跡の具体的な場所を調べてみたが、分からなかった...。現地には特に説明看板もないのだろうか。
っていうか、この手の遺跡は思っていたより、他にもあるみたい。

参考:茨城県教育委員会>芸術文化・スポーツ>芸術・文化>いばらきの文化財>いばらきの文化財一覧(県指定)>県指定文化財 考古資料>小野天神前遺跡出土土器

発掘から十数年経ち、出土された土器たちは、修復専門家(奈良県にある元興寺文化財研究センター)にて修復作業が行われたみたい。奈良県とは...また大移動でしたね。

Wordファイルの中にあった画像をみましたが、かなり細かくバラバラで、これ修復するって凄いなぁとか思うのでした。また、人面付壺形土器「いずみ」など、多数レプリカが存在するそうです。

<参考>
常陸大宮市>教育・文化・スポーツ>歴史・文化財>泉坂下遺跡
こういうのって、好きな人にはたまらないんでしょうね。

PDFファイル「いずみもゆく」
いずみちゃん...とな(笑)。

常陸大宮市>教育・文化・スポーツ>歴史・文化財>歴史民俗資料館 大宮館
出土品が展示されていそうな所は、常陸大宮市歴史民俗資料館大宮館かな。

明地知遺跡とは

前述のとおり、常陸大宮市ある遺跡ってすげぇんだぞ!とかモチベーションをあげつつ、今回たまたま見つけてしまった、読み方も分からない「明地知遺跡」について記してみます。最初に記しておきますが、まったく手応えがありません(笑)。

歴史民俗資料館に行けば、あっさり分かりそうな気もしますが、あえてインターネットを駆使して足掻いてみます。

正直、足掻いてみる理由のひとつとして、これって「明智光秀」関連じゃね?とか、まさかそんな訳ないだろう、弥生時代または縄文時代と戦国時代では繋がりようがないだろうし、万が一もなさそう。しかし、日光いろは坂にある「明智平」並みに謎めかせられるんじゃないかと期待してます(笑)。

((;´・ω・)あっちは、日光東照宮というバックボーンがあるから、比にならないかもですが。)

ちょっとおさらい


標柱に書かれている内容を可能な限りで再確認してみます。
「明地知遺跡」「平成十四年 建立」「美和村」
汚れか欠損しているので、だいたいこんなもんというレベルでしか読み取れない。「美和村」の続きがはっりき読み取れないが、いくつかのビューから推測するに、おそらく「美和村教育委員会」と、見えなくもない。

標柱があった住所を再確認してみます。茨城県常陸大宮市氷之沢...氷之沢=ひのさわ...。合併した後ですかね、今は美和村ではないようですが、「美和村」記載の看板は多く見えます。

普通は地名が遺跡の名称になるものではないのかと思うのですが、どうなんでしょうね。。。かなり昔に使われていた地名なのか。

「明地知」って何ですか?

さすがに「"明地知遺跡"」では、有力情報がヒットせず。文字をバラして検索すると、期待が高まる情報がチラホラ。ヤバい!もしかしたら、ここを麒麟が通過したんじゃね?

岡山県と鳥取県の境にある「明地峠」

岡山県新見市と鳥取県日野町の境に、「明地峠」が存在することが分かった。雲海・絶景で有名らしい。「明地知遺跡」...いったん「知」は置いてみよう(笑)。

鎌倉時代、倒幕に失敗した後の醍醐天皇が、この峠を通過した際に、夜が明けたので「明地峠」と名付けられたという伝承があるそうな。

...なんとなく、麒麟遠ざかったな...いや近くにすら居なかった気が。

この遺跡は「夜明け知る遺跡」なのかもしれない。美和村遺跡伝説の始まり、常陸大宮遺跡伝説へ継承されていく...なんてな。

大学COC事業

「明地」と「知」、「明」と「地知」なのか、困惑する中、「地(知)」という表現をしているページを見かけた。

COC=Center of Communityの頭文字を取った略語で、「地(知)の拠点整備事業」とも表される。つまり、国内の大学が、「地域社会との連携強化による地域の課題解決」や「地域振興策の立案・実施を視野に入れた取り組み」をバックアップする施策なんだとか。

...つまり、地域は明地知遺跡から学び取り(遺跡と?)連携強化し、課題解決に役立て、地域振興策の立案・実施をするということ?!...なんか埋もれていた古代耕作機械とか産み出されそう!!...あほか。。

ピックアップする程ではなかったな。

日本の氏族 伊地知氏

おや?ちょっと似てませんか?「伊地知=いちぢ」と読むそうです。平姓秩父氏を祖とする大隅国の国人で、後に薩摩島津氏の家臣となり薩摩藩士として、明治へと至る一族のようです。...うーん、似ているというだけで、「明地知」との関連性はなさそうです。

「伊地知」を名字由来のランキングで調べてみると、全国順位は2705位、全国人数は約5100人とのことです。見た目は珍しさを感じますが、この順位付近には、「僕としたことが...」で有名な?杉下(2707位)、政治家に居た気がする?谷垣(2727位)、よく分からないけど「立原氏 - Wikipedia」でもヒットする由緒ありそうな?立原(2733位)...。

とまぁ、やっぱり聞いた事ある名前を挙げる方が難しい順位どころでした。30位毎に知っている名字が1人居るか居ないかぐらい。「磯山」「上月」性もこの辺に居た。

ちなみに、「明地知」で名字検索してみましたが、当然ながらヒットしませんでした。なお、「明父」と書いて、「あぢち」「あじち」と読む名字もあるそうで、「明地知」が、「あちぢ」「あぢち」と読みそうな可能性もありそうな。

姓名判断サイトにて

姓名判断サイトがヒットしたので覗いてみましたが、ちょっとカオスでしたね。名字「明地」となり、「知」から始まる名前が大量にヒットし、まとめようがない(笑)。

なお、「明地」の読み方としては、「あけち」「めうち」「みょうち」「みょうじ」「めいち」などあるらしい。恐るべし読みの多さ...。


役所のホームページで探してみた

Google検索に登録されていない可能性を考慮し、心当たりのあるホームページ内で検索を試みます。

常陸大宮市の公式ホームページから文化財として、どうだろうかと探る。
常陸大宮市>教育・文化・スポーツ>歴史・文化財>常陸大宮市文化財マップ
泉坂下遺跡、山方遺跡ぐらいしか...見当たらん(笑)。

美和村という情報を深めてみた。
平成16年10月16日、那珂郡大宮町・山方町・美和村・緒川村・東茨城郡御前山村の5町村が合併し、常陸大宮市が誕生した。とあったので、標柱にあった「平成十四年 建立」ということに納得できる。...で?

「諏訪遺跡や下檜沢遺跡など縄文時代の遺跡が数多く存在する」とあり、ぉお!!と一瞬手応えを感じたが、肝心の明地知遺跡は登場せず、残念!

しかし、「美和村」という名称が、実はそんなに古くからあったものではないことに気付きました。昭和31年、これまた合併というターニングポイントにおいて、檜沢村(ひざわむら)と嶐郷村(りゅうごうむら)の合併で、住民からの公募により「美和村」となったそうです。昔へ昔へと辿ることが出来れば、「明地知」という文字が見えてくるのではと、期待してしまう。
遷移時期村・市の名称
1868年
以前
上檜沢村下檜沢村氷之沢村小田野村鷲子村高部村
明治22年
4月1日
檜沢村嶐郷村
昭和31年
9月29日
檜沢嶐郷村
即日改称
美和村
平成16年
10月16日
那珂郡大宮町に編入
即日市制・改称し
常陸大宮市
...ここまでしか遡れなかった。

その他

美和村といえば、花立自然公園、道の駅、鷲子山上神社(フクロウ)、山いっぱいの印象しかなかったのですが、調べていくと見所がありました。過疎化が進む地域の中、どうやって過疎化を防ぎ、盛り上げていくか、真剣に考え、行動されているようです。
<参考>
森と地域の調和を考える会
龍崎工務店>森と地域の調和を考える会>お宝マップ美和
↑Googleでうまく検索すると辿り着く、PDFファイルです。親ページは以下のとおり。
龍崎工務店>森と地域の調和を考える会

上記のリンク先には、素晴らしいパンフレット(PDFファイル)が置かれていた。地元の人たちによって継承されてきた、絵巻図のような地図も載っていたのだが、「明地知」は見当たりませんでした。見落としている可能性が高そうだが。。。


後記

やはり、「明地知遺跡」には、まったく近付くことが出来なかった。しかし、あらためて周辺地域の魅力というか、見所を見つけることが出来たので、先人のWebサイトをもう少し調べて、散策しに行きたいと思ったのでした。

「明地知遺跡」については、歴史民俗資料館に行くしかなさそう。目が疲れた(笑)。

最後にひとつ。妖狐を退治に向かった三浦大介義明が、道中ここの吉田八幡神社に参拝、祈願して植えた杉があり、退治後は親族の和田氏を介して、親鸞の門に入り「空智」と号したんだとか。ちょっとだけ近くないですか?なんて思ったり。

ちなみに、妖狐の話は、あの妖狐...殺生石になる話です。美和村にある三浦杉の謂れにそんな関係があったとは。。。

調べていたら、偶然にも小野天神前遺跡の場所が分かったけど、ストリートビューを見る限り、その片鱗を見る事は出来なかった。やっぱり、そっとしておいてくれ系なのだろう。畑などの農作業中に発見というのが多いから、調査後は生活の一部に戻って行くんだと思う...そっとしておくのも大切な事かな。
※さらに後日よく見ていたら、標柱が立っていることを確認しました。

さて、サイクリングの計画してみよう。。。

おわり。
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どうも、水戸近辺在住のtanayasu99(たなやす)です。ブログタイトルを変えて再出発な2024年となります。ブログの内容をクロスバイクやサイクリング、その他雑記、気になった商品の備忘録で続けていこうかと頑張ってみます。よろしくお願いします。

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