クロスバイクで旌桜寺跡の彼岸花を見に行ってみた

2020/10/06

サイクリング 写真 彼岸花

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こんばんは。
tanayasu99(たなやす)です。

自分の棺の中には彼岸花で埋め尽くしてください。とか訳分からんこと言い残しておきたいぐらい、彼岸花推しかもしれません(笑)。まぁ、たぶんそういう事には用いられない花だと思いますが。

年に1回ぐらいは、ちゃんと見に行きたいなぁって感じで、毎年どこかの彼岸花を見たり撮影したりしています。今年は(も?)、クロスバイクでサイクリングしつつ行ってきました。

おおむね、久慈大橋からスタートして、旌桜寺跡の彼岸花へ向かった感じです。ちょうどスタート地点にも彼岸花が咲いていたので、その辺の様子も載せておきます。 記事一覧用サムネイル

久慈川サイクリングコース起点付近の彼岸花

この時期に久慈大橋の土手に来たのは初めてなのかな。ここら辺に彼岸花がよく咲いていることは知らず、今回偶然にも知ることになりました。

クロスバイクが手前になってしまい、どう撮影してもイマイチな感じです。(ここに来る途中の坂道がややキツイけど、短いので頑張れる。)
久慈大橋付近の彼岸花
久慈大橋付近の彼岸花久慈大橋付近の彼岸花

クロスバイクと彼岸花と夕日。
久慈大橋付近の彼岸花

撮影がヘタクソですみませんでした。と思わざるを得ない。
久慈大橋付近の彼岸花

旌桜寺跡の彼岸花2020夕暮れ

常陸太田市にある旌桜寺(せいおうじ)跡の彼岸花です。
常陸太田市旌桜寺跡の彼岸花2020夕暮れ
(´Д`)暗くてシャッター速度が上げられず、蚊が気になり集中できず...撮影に苦戦...。

日が暮れてしまい真っ暗になる中でした。しびれをきらしてか、珍しくフラッシュ撮影。
常陸太田市旌桜寺跡の彼岸花2020夕暮れ常陸太田市旌桜寺跡の彼岸花2020夕暮れ

若干、雰囲気あるんですかねー。埃っぽいような、羽虫っぽいようなものがフラッシュに反射して、オーブっぽく見えます(笑)。
常陸太田市旌桜寺跡の彼岸花2020夕暮れ常陸太田市旌桜寺跡の彼岸花2020夕暮れ
葉っぱの無い木の枝付近が急に白っぽくなったなぁ...。

付近にはソバ畑ですかね。
常陸太田市旌桜寺跡の彼岸花2020夕暮れ常陸太田市旌桜寺跡の彼岸花2020夕暮れ
...マジで白いの写りすぎ(笑)。D3000も長く使っているからなぁ...。そういえばD7100は「Err」(エラー表示)を出して使えなくなりました...別途記事に出来ればと思います。

そして、蚊が凄かったです。闇夜の中、適当に掴みかかるだけで、2匹やっつけられるほど居ました(笑)。10~20匹ぐらい居たんじゃないかと。。。

去年(2019年)旌桜寺跡の彼岸花

実は、去年もクロスバイクで1回、車で1回行ったことがあります。こちらは明るい時間帯だったので、合わせて載せておきます。
常陸太田市旌桜寺跡の彼岸花2019明常陸太田市旌桜寺跡の彼岸花2019明
赤い屋根の建物2件あるのことが、ハッキリと分かります。

大きな木を囲むかのように咲く彼岸花。
常陸太田市旌桜寺跡の彼岸花2019明常陸太田市旌桜寺跡の彼岸花2019明

こちらも同じ様に彼岸花に囲まれていますが、説明板が立っています。 常陸太田市旌桜寺跡の彼岸花2019明常陸太田市旌桜寺跡の彼岸花2019明
「旗桜(はたざくら)」ですかね。説明板を抜粋すると次のとおりです。
「康平五(一〇六二)年、源頼義・義家親子が欧州征伐の帰路に当地で休息を取った際、旗竿を挿したところ根付いたという伝説に由来しています。この樹は伝説の木から三代目のものと思われています。常陸太田市」
※康平=こうへい、日本の元号であり西暦1058年から1065年の期間を指す。

先ほどの写真にあった赤い屋根の建物の奥の方。...これも御堂?。
常陸太田市旌桜寺跡の彼岸花2019明常陸太田市旌桜寺跡の彼岸花2019明
説明板を抜粋すると次のとおりです。
「康安元(一六三一)年、佐竹義篤が大沢山瑞龍院を建立したところ、境内の桜が大変見事であったので旌桜寺の名がついたと伝えられています。また源頼義・義家の位牌を納めた祠堂があり、徳川光圀が建立したといわれております。常陸太田市」
※康安=こうあん、日本の元号であり1361年3月29日~1362年9月23日の期間を指す。

ざっくり要約すると次のような感じ。
①源頼義・義家親子が旗竿を指したところから桜が根付いた。
②佐竹義篤が、「あの桜凄くね?」って気付いて、建てた瑞龍院に旌桜寺の名を上書きした。
③光圀公が、「ここ良い所じゃん!」って気付いて、源氏の位牌を置いとく祠堂を建てた。

ちなみに、佐竹義篤は1311~1361年を生きた人であり、のちの鬼佐竹(義重=よししげ)や、秋田転封を経験する義宜(よしのぶ)へと受け繋がれていく(佐竹氏も長いなぁと思う)。

徳川光圀は1628~1701年を生きた人であり、水戸藩の第2代藩主を務めたり、水戸黄門として知られる人(家康の孫)。徳川家といえば、征夷大将軍になるためか、源氏の性にこだわっていたんだとかいう話が印象的です。まぁ、天下を狙ったお家にはよくある話ですかね。なので、「源氏の位牌を」という話もあるんだと思います。

こちらには「徳川光圀」については触れられておらず。
参考:常陸太田市教育委員会>教育・文化・スポーツ>常陸太田市教育委員会>エコミュージアム>地域資源の紹介>ちょっと寄り道(誉田地区)
ややローアングルで楽しむ。
常陸太田市旌桜寺跡の彼岸花2019明常陸太田市旌桜寺跡の彼岸花2019明

彼岸花の茎部分が強調してくる図。なんとなくプライバシー保護の図。
常陸太田市旌桜寺跡の彼岸花2019明

旌桜寺と旗桜。って記すと、あれはやっぱり御堂(祠堂)ではなく、寺なのか?付近一帯が寺なのか?と思ったり。
常陸太田市旌桜寺跡の彼岸花2019明常陸太田市旌桜寺跡の彼岸花2019明

実は、けっこう名のある彫刻家が手入れしていたのではとか思う。
常陸太田市旌桜寺跡の彼岸花2019明常陸太田市旌桜寺跡の彼岸花2019明

キランと樹木と彼岸花。
常陸太田市旌桜寺跡の彼岸花2019明

石碑と彼岸花。
常陸太田市旌桜寺跡の彼岸花2019明

後記

旌桜寺跡と記してきましたが、付近の看板には「跡」抜きの「旌桜寺」看板が見つけられます。自動車1台分の道幅となり、舗装もされていない道となります。車高の低い車はこするかも?
常陸太田市旌桜寺跡の案内板

寺跡の目の前には、いちおう、車が停められる広めのスペースもありますが、あんまりウェルカムな感じではない気がします。たぶん、農耕車用のスペースのような...。

彼岸花が多く、寺?御堂?があって、独特な雰囲気なので、コスプレイヤーさんっぽい人にも人気があるようです。

おわり。
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どうも、水戸近辺在住のtanayasu99(たなやす)です。ブログタイトルを変えて再出発な2024年となります。ブログの内容をクロスバイクやサイクリング、その他雑記、気になった商品の備忘録で続けていこうかと頑張ってみます。よろしくお願いします。

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