こんばんは。起伏のあるルート大好きではないtanayasu99(たなやす)です。
ある時期、国道6号大和田交差点から山側道路や風神山ルートを好んで走っていましたが、最近はまったく行かなくなりました。特に半年以上経った2025年は日立市内のサイクリングがまだ少ないことに気付いたので、立ち寄りスポットを検討しました。そもそもアップダウンが多くて敬遠しがちな日立市内...いやいやいや!そんなこと言ったら日立市内走れんぞw。アップダウン抜きで「走行距離」と「気になった所へ行く」ことを中心に再検討。久慈川サイクリングコース起点から国道245号で田尻浜、田尻川調整池とか立ち寄ってみたというお話🚴。
久慈川サイクリングコース起点辺り
久慈川サイクリングコース起点。続いていた暑い日々が曇り空のせいか、この日の暑さは穏やかだ。10kmぐらいウォーミングアップしてのスタート🚴。
国道245号線を素直に北上しつつ、気になっていたスポットに立ち寄っていゆく予定⤴。道中のアップダウンでどんだけ体力や脚が削られるかが少し心配。

鮎川河口

国道245号をクルマで走ってると、まぁまぁ気になっていたスポット。
自転車で走ってても「あー、また今度でいいや」って感じで、なかなか立ち寄る事はありませんでした。現地には公園表記を見かけなかったが、Google Mapには「鮎川河口自治公園」とあります。見た目浅瀬ですが、その歴史は深い。

国道245号・鮎見橋、流れ出ている川は鮎川です。

海を絡めた風景が見所かな。

岩場というか...なんかふもとを歩いていけるみたい。

反対側へジャンプ!出来るはずもなく、テクテクと。

戦前は、ここ鮎川をせき止めて、鮎川河口プールとして昼夜賑わっていたそうです。長さ70メートル、幅15メートル、深さ1.7メートルの大きさ。とまぁ、ネットでで調べると少しだけ情報がヒットします。
参考情報:X(旧ツイッター) コート日立写真館(@ko_to_htc)
夕毎に海の南の
なんか、石碑があります。
ひっそりとたたずむ石碑。末尾には人名のような刻みも。

| 島木赤彦が残した歌 |
|---|
| 夕毎に 海の南の 雲を染めて 茜根にほへり 風寒みつつ 赤彦 |
赤彦って?現地には確認できる情報はなく、後日調査にて、明治~大正時代の歌人っぽいことが分かった。
島木赤彦(しまぎ あかひこ)は、明治時代後期から大正時代にかけて活躍した歌人、歌論家、教育者。本名を久保田俊彦(くぼた としひこ)。歌人として著名な伊藤左千夫(いとうさちお)の門下に入り、後に歌壇の主流の一つである「アララギ」の中心人物として指導的な役割を果たす。
自然の描写を通して、自己の心象を深く掘り下げたものが多い。
特に、この地に残された歌は「大正15年1月 胃腸病の療養のため鮎川海岸にある島崎館に滞在し、潮湯治で知られた焼石湯に入浴。そんな逗留した折に詠んだもの」で、島木赤彦歌碑建設実行委員会によって赤彦氏の文学的足跡を末永く後世に伝えようと設置したみたい。
歌碑のとなりに設置されている石碑には、「鮎川浜焼石湯の跡」と刻まれていた。

焼いた石を潮水に入れて沸かす珍しい温泉「鮎川浜焼石湯(やきいしゆ)」の跡を記念して、ゆかりの地に建てられたみたい。潮湯として、海洋療法(タラソテラピー)の先駆けともいわれ、遠方から湯治客が訪れていたそうな。赤彦氏もそのひとりだったということか。
そのような話をもとに今一度、歌碑に思いを寄せる。
| 歌 | 意味と情景 |
|---|---|
| 夕毎に(ゆうごと)に | 毎夕。 |
| 海の南の | 南側の海の。 |
| 雲を染めて | 雲を茜色に染めて。 |
| 茜根にほへり | 茜色に光り輝いているよ。 |
| 風寒みつつ | 風が寒々と吹いている中で。 |
日立駅から旭高架橋(国道6号BP)
日立駅から海を眺められるところにて。国道6号バイパス・旭高架橋。自転車や徒歩は通行禁止の区間...安全を考えるとそれは正しいと感じる。
ループ橋(浜の宮らせん橋)がうっすら見える。ループ橋も徒歩と自転車は通行禁止。これぞクルマ社会がクルマ様としてなせる技かな。

日立駅。何も考えず撮影。地味なアップダウンと暑さで疲労が回ってきたw。

滑川高架橋下の津明神神社
高架橋と並走するように北上しつづけると、見えてくる訳でもなく分かりにくい神社がある。下調べ通りに立ち寄ってみた。
高架橋の下を通過した先にあります。

津明神神社。

けっこう、放置されているのかなと思ったけど、埋もれていないので草刈りとかはしてそう。

木製と石製。木の陰に隠れて本殿がチラリ。

本殿かな。しっかり見えることを考えると、手入れはされているように思える。

高架橋と鳥居。

滑川新橋
国道6号バイパス(日立シーサイドロード)を走り抜けると、まぁまぁ気になっていた趣ある橋。

橋を渡ろうとするとこんな感じ。アーチだけではなく、なんかワイヤーも見える。

名を滑川新橋という。

説明銘板。アーチ橋の類だと思うけど、そんなことより「定着方式」という仕様が刻印されている。
| 滑川新橋の銘板 |
|---|
| 滑川新橋 1993年7月 関東地方建設局 道示(1990)二等橋 定着方式:ポストテンショニング 施工:常磐興産株式会社 |
神峰山を望む。よく見ると吉田正音楽記念館が見えるw。

かみね市民プールも見えるw。分かりにくい向きだけどたぶん観覧車も🎡。

っで、滑川新橋を渡った先は畑が広がるばかりで、どこかに抜けている様子はない。どうやら、金木場(かなきば)遺跡という。どうやらバイパス計画時に調査したみたい。茨城県教育財団文化財調査報告第59集 一般国道6号(日立バイパス)改築 工事地内埋蔵文化財調査 報告書という書類が残っている。
どうやら、東滑川緑地公園にさえ行ける様子はないので、いさぎよく次の目的地へ。
田尻浜とか

田尻浜到着。

津乃宮公園
道が見えたので散策開始。
小さな切通し。

写真の撮り方が悪くて道幅が分かりにくいですが、人ひとり通れるぐらいでした。

行き止まり?左に道があるような。

左後ろ...ヘアピンカーブみたいに軽く登ってゆく。

登ってきたので、海の見晴らし具合が変わってきました。

というか天気悪っw。

なにやら石碑のようなものが見えてきました。

2つの石碑。右は「津乃宮公園」の碑。左は...。

左の石碑には、地元青年会の活動から津乃宮公園の碑について刻まれていました。
| 在住の成年男子集い |
|---|
| 記 在住の成年男子集い 昭和48年9月 「田尻浜青年友の会」結成され会員の親睦と地域行事推進を目標に活動 同55年6月 公民館建設に際し「田尻浜青年会」改称完遂に向活躍。夏まつり郷土芸能の再興に力する。 平成5年結成20周年を期に郷土の遺産「津乃宮公園記念」の碑 再建立を図る。津神社の周辺山林地権者賛意のもと、去る>昭和10年公園として整備され翌11年 碑は建立された。時動乱年々戦火激しく、ついに同20年8月終戦に至る。年経て公園も人々に忘れ去られ記念の碑風雨に散り行く落葉に埋もれていた。同志集い、先人達の意思をここに再建する。 平成5年7月24日 田尻浜青年会 建立 |
他。平安時代に栄蔵法師が田尻海岸の小島に庵(小屋)を建て修行をしていたとか。水戸光圀がここを訪れて小島まで橋を架けさせたが、その後水没したとか、いわれがあるみたい。
田尻川河口が見えているので向かってみます。
田尻川河口
綺麗に整備された、高さのある河口。
水量は少ないけど、確実に海へ流れ出ていました。

先ほどの津乃宮公園の碑があった方を見る。

河口に架かる橋から海を見る。橋は簡易的で、両端には階段があり、人とすれ違えるどうぐらいの幅しかない。

橋の床版も特徴的。むかし公園にあった木製のベンチを思い出した。

諏訪神社と地蔵尊
少し遠回りしつつ、辿り着いた諏訪神社。
修復したらしい。

本殿かな。

ここには変わった言い伝えが残る地蔵尊があり、気になっていたところ。

石碑「地蔵尊の由来」。
| (日立市田尻 諏訪神社) 地蔵尊の由来 |
|---|
| 天明の大飢饉により、道端の草々までもが無くなったと言われた程であった。その為、全国各地に於いて「口減らし」「間引き」と称して、幼子を手にかけてまで現世を生き抜かねばならない状況であった。後に「地蔵尊」が建立され、町内のご婦人を中心に「地蔵講」を立ち上げ、犠牲となった幼子の供養と子宝を授かる為のお参りが行われた。 永く田尻浜集落ほぼ中心の山中に祀られていたが、後世に伝える為、令和2年2月この地に移設された。 |
過去、大飢饉による悲惨な状況があったことを伝えたかったようです。なんとか食って生きられていることに感謝です。昨今、大飢饉より自然災害や人災、戦争、物価高で生命線を絶たれそうな気もします。備蓄と貯蓄をほどほどにしていきたいところです。
田尻中継ポンプ場の趣ある建造物
ストリートビューで事前確認していたところ失念していて、走っていたらちょうど立ち寄れました。
少し古風で特徴的な田尻中継ポンプ場。

んーそれ以上でもそれ以下でもないか。

田尻川とJR常磐線のクロス地点:水隧道

国道6号周辺の賑わいを横切り、趣あるレンガ調の水路兼通路へ到着👍。道路側の橋は「立下橋」(たてしたはし)とのこと。

下流側は住宅街をまっーすぐ流れている。途中、小さな堰が設置され、川の流れる音が印象的。

目線を水隧道へ。レンガ調が良い感じ。

通行中に電車が通過したら恐いかもしれない!とか思っていた。

何事もなく静かに通過した。

反対側の方も蔓系植物の勢いが...。

植物による緑の絨毯かw。って、眺めていたら...。

なんかキターーーーーー。どんよりした曇り空、よく分からない緑の植物群の間を切り裂くように通過していった🚊。

次の目的地は、本日のメインディッシュ、田尻川調整池ヒルクライムwですw。
田尻川調整池

しばらく、住宅街~田尻交流センター~住宅街と走り抜けていくと、遠くに感じていた山が他人事ではなくなってきた。雲色が雨雲っぽくなってきたし。

上の画像にも映っていましたが、常磐自動車道の高架橋がハッキリ見えてきました👀。あの下を通過するんだよなー。

やや登り勾配の途中で、分かりにくいところで右折しろと...。

さぁーて、登りますか~。下調べでは工事の状況が分からなかったけど、最後まで行ければラッキーかなとか思いつつ。

(広角なアクションカメラなのに、登り勾配が分かるというw。)
高速道路の下を通過する~!山の中に突然現れる巨大建造物に圧倒されそう。(たぶん上合高架橋かなー。)

登り終了。この左から小木津公園の新たな出入口として整備工事していたような...。

柵越しに高速道路を見る。たーぶん、田尻高架橋。上合高架橋に比べて長いようだ。

季節的に草の勢いが凄くて、調整池の全容が分かりにくい。

田尻川原水が近いのだろうか。

予定どおりの行き止まりなんだけど、想像以上に何も見えないという。

このルートではここまでか...。そう「このルートではここまで」なだけで、もうひとつのルートへ向かうことにした。たぶん、調整池の下流側に回る感じ。
こっちのルートは路面が...。

この左側はやっぱり通行止め&立ち入り禁止の看板か。たぶんこれ砂防堰堤だと思うんだよなぁ。とりあえず登りきることに必至で素通り。


っで、登りかつ砂利道が続き、高架橋を見ている余裕がないw。

はい、行き止まり~。うんまぁ、「行き止まり」は事前調査どおりなんだけど、この見通しの悪さは先ほどと同じく想像していなかったことで...なんか残念。

さっき上の方で見てきた田尻川が調整池の中を巡り巡って、ここに流れているのかなと。コンクリートだけでなく、岩を敷き詰めて自然を演出しているようでした。

2つのルートと画像を合わせるとこんな感じ👇。うまく一周できるルートがあれば良かったのにね。

予定していたスポット...思い出せる限り(?)すべて立ち寄る事ができ、満身創痍で坂を下り撤収してゆくのでした🐒。
小木津駅
最後のシメとして小木津駅に立ち寄りました。
それだけ、お疲れ様でした。って感じで。
後記
ほぼ平坦な久慈川サイクリングコース起点から終点を走ることが多い自分としては、国道6号や国道245号のアップダウンで生きた心地がしないんだよなー。って、余力を不安に思いながら走っていると余計に疲れるという。今回は日立市田尻町メインで立ち寄ったつもりですが、「佛ヶ浜」を完全に失念していました。ほか不動堂や神社や庚申にまつわるスポットも巡れば良かったのですが、調整池の登坂がトドメになっていたので体力的に無理。田尻ふるさとマップ(田尻の里 小さな旅)っていうPDFファイルが転がっていたので参考にしながら、ちゃんと計画しよう。
おわり。

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