こんばんは。少し退屈そうな石仏巡りも踏破するtanayasu99(たなやす)です。
久慈川サイクリングコース終点付近スポット巡り2026年第2弾、常陸太田市高柿町の史跡13ヶ所+αを巡っていきます。今回も1日で巡った話になりますが、記事としては3つに分けて展開していきます。
ということで、常陸太田市高柿町の歴史とかへ、クロスバイクで立ち寄ってみたというお話パート3(最終話)です🚴。
石仏群(雁取)
「富士山と八重桜」から「金砂郷護国神社」の鳥居前まで下り、「常陸太田市 金砂郷支所」前の交差点から少し長めの登坂が始まる。高柿城跡への登坂でけっこう満足していたし、なんなら猫渕横穴古墳群を自転車担いで踏破してきたし、疲労困憊がすぎる状況だった。
無理に回さず、ゆっくり行こう。俺は弱いんだから、しっかりペース配分して無難に登り切ろう。

っで、登り切った🎉。...距離450メートル、高低差36メートル...え?たったそれだけ?!もっと疲れた気がしたんだが。

石仏群(雁取)の次に立ち寄る予定の吉田神社の前を通過し...。ストリートビューでは確認しきれなかった「石仏群(雁取)はこちら」みたいな案内板に遭遇した。めちゃくちゃありがたいと思ったけど、その先が...。ありがたいのはウソ偽りない気持ちだが...。

マジでこの先なの?草地(低レベルな藪漕ぎ)はもういらんてw。

草を踏み分け進むこと数分後...。それっぽち道は左へ向かっているようだった。「富士山と八重桜」に続き、不鮮明だったスポット(地点)がついに解明出来るのかとテンションがあがった。

こ、これは?!なかなか、ひと目に触れない場所だと、こういうことになってしまうのかだろうか。

「石仏群(雁取)」説明板。今回巡ってきた石仏群にあった説明と一言一句変わらず、同じ内容である。それだけ、夜講や仏さまの信仰が根強かったのだろう。

| 石仏群(雁取)(がんとり) (子安観音仏・地蔵仏) |
|---|
| 江戸時代、農民生活の中から生まれた如意輪観音信仰は、十九夜講などを通じて盛んになった。「十九夜講」とは、母子の健康と安産・子育てを願い「供養」と称して実施する女性の行事である。ほかにも「二十三夜講」・「二十六夜講」などがある。 昔から「ハガイタサン」と呼ばれ、顔に片手をあてている「如意輪観音仏」と、おなかに子供を抱いている「子安観音仏」に、「地蔵仏」を加えた3体の石仏が並んで設置されているものが多い。 高柿町お宝さがし実行委員会 高柿町会 |
笹のような植物の先はストリートビューで見られる道路。なるほど、ストリートビューから石仏が確認できなかったのは当然だ🤣。

案内板付近で待機中のクロスバイクが草まみれにw。そんな所に置いたつもりはなかったのだが。

神社への車両用ルート。

お地蔵様。おもての階段が短く、拝殿も見えたから、階段から踏破することに。

吉田神社
迷うことが難しいスポット・吉田神社。自転車を担いで階段および参道をゆきます。
村社吉田神社。鳥居をくぐって、杉林に囲まれた参道を突き進む。

神木と共に説明板がお出迎え。

「吉田神社」説明板。そういえば、ここも説明板は事前調査で確認できていなかったから、見つけることが出来て安心した。

| 吉田神社 |
|---|
| 祭神は日本武尊、明治6年に高柿村村社に格付けされた。 社伝によれば元禄年間、水戸光圀の寺社改革の命により一村一社と定められ、元禄10年3月に箕の吉田神社から分霊し鎮守とする。 その後宝暦10年4月に社殿を再建するが、昭和17年に消失、昭和19年に再建、昭和45年に拝殿などが大改修された。 高柿町お宝さがし実行委員会 高柿町会 |
また、寺社改革ですね。ざっくり言えば、光圀公と斉昭公の寺社改革が大きいですが、その目的はまったく同じということではないみたい。時代背景の違いの他、斉昭公が仏が嫌いとかw。
まとめると、こんな感じ👇。やっぱり幕末はそうだよねぇー外国の脅威が露骨になってきたもんねーって歴史が好きな人は思うところかも。
| 水戸藩主2代目 徳川光圀 (江戸前期:寛文・元禄期) |
水戸藩主9代目 徳川斉昭 (江戸後期:天保期) |
|
|---|---|---|
| 最大の目的 | 儒教精神に基づく民衆の教化と神道秩序の確立 | 迫り来る外敵(ロシア・イギリス)に対抗する軍事力の強化 |
| 思想的背景 | 朱子学(前期水戸学) | 尊王攘夷論(後期水戸学) |
| 寺院整理の基準 | 檀家がいない寺、修行や葬祭をしない寺などの不合理な寺の整理 | 「無仏国(仏のいない領地)」を目指すレベルの容赦ない大規模破却 |
| 金属(鐘など)の扱い | 没収した金属で銭(貨幣)を鋳造して経済を安定化 | 徴収した梵鐘や仏像を溶かし、大砲や鉄砲を鋳造 |
| 神社に対する政策 | 一村一社制の推進、神仏分離、八幡社の整理 | 一村一社制の再徹底、仏式葬儀の禁止と神葬祭の強制 |
ちなみに、斉昭公がおこなった「お寺の鐘を溶かして大砲にする」について、正式名称があって「毀鐘鋳砲(きしょうちほう)の令」といったみたいです。なんだか「拡散波動砲」みたいでカッコいいです!とは思いませんでしたが、改革って大変そうだし、それに振り回される人々も...。現代でいうところの消費税増減のニュースを見ている気分になってしまいました。
拝殿。

...手洗。その表記は珍しくないか?

切り株群と奉納。

裏には、いろんな時代を感じさせる祠。

「吉田神社屋根替祈念」の碑。大々的な再建だけでなく、細かいメンテナンスも行われてきたのでしょう。

風雨の災害も多いから、倒木の恐れがある大木は伐採して正解かもしれませんね。来たときは「光がよく差し込んでいて、伐採した恩恵なのかなー」って思っていましたが、石碑を見たら倒木による破損回避もあるかなと。

赤い!階段になんか居た!

ようやく、不鮮明だったスポットは巡り終えました✨。残りはストリートビューで確認できるところという以前に、2021年に立ち寄り済みのスポット。時が経ち過ぎてて、何か変わっていたとしても気付くのは難しそうだ。
馬力神(清水)、石仏群(清水)
吉田神社から下り一辺倒。勢いよく通り過ぎないように、細心の注意を払いつつ、無事到着。最終段階ということで、撮影が雑になってきたw。
ここは石仏群と馬力神が同じところにあります。どっちも石ですよね?というツッコミはしてはいけない。

「石仏群(清水)」説明板。もはや一家にひとつあったのでは?と疑いたくなる。

| 石仏群(清水)(しみず) (子安観音仏・地蔵仏) |
|---|
| 江戸時代、農民生活の中から生まれた如意輪観音信仰は、十九夜講などを通じて盛んになった。「十九夜講」とは、母子の健康と安産・子育てを願い「供養」と称して実施する女性の行事である。ほかにも「二十三夜講」・「二十六夜講」などがある。 昔から「ハガイタサン」と呼ばれ、顔に片手をあてている「如意輪観音仏」と、おなかに子供を抱いている「子安観音仏」に、「地蔵仏」を加えた3体の石仏が並んで設置されているものが多い。 高柿町お宝さがし実行委員会 高柿町会 |
カメラの白飛びが酷くて、どっちが子安観音仏か地蔵仏か分かりませんなw。屋根の下に一升瓶も安置されております。

「馬力神(清水)」説明板。
| 馬力神(清水)(しみず) |
|---|
| 江戸時代、馬は農家において労働力の担い手として大きな役割を果たし尊重された。 馬の安全を祈って馬頭観音の石塔を建てる風習が起こった。 その後明治になると神仏分離の風潮が強まり馬頭観音から馬力神へと変化していった。 高柿町お宝さがし実行委員会 高柿町会 |
江戸時代の寺社改革がありーの、明治時代には神仏分離の風潮が強くなったようです。
これまで神様と仏様をなんとな~く一緒に拝んでいました(神仏習合)。農家の人々にとって、大切な労働力であり家族でも会った馬の健康を祈り、死後を弔う対象が「馬頭観音」でした。
しかし、明治時代になると政府から「王政復古して、天皇を中心とした国づくりのため、神道と仏教を完全に分けるべし!お寺の要素を、神社や民間の信仰から排除せよ!」といって「神仏分離令」が出された。天皇=神道を一番に拝みなさい、神道こそ国教であるという時代だったみたい。全国民の推しが天皇ということか。
民間の信仰というぐらいなので地域の人々にも影響してきます。「馬頭観音は仏教だから撤去しろって言われそうだが、信仰はやめたくはない。しかし、このままでは罰せられてしまうかも」と、悩んだに違いないw。
そこから、「馬力神とすれば何も言われないのでは?」という感じだったかも。「観音」「観世音」ではなく、「馬力神」「馬産神」「駒形神」といった"神様っぽい名前"への改称が始まり、明治政府の役人から咎められなかったとか。
また時代が変わり、明治中期から既に取り締まりも徐々に落ち着き、人々の信仰の自由が戻ってきたようです。ちなみに、本記事冒頭で紹介した「馬頭観世音」には"昭和51年1月"とも刻まれており、完全な神仏分離は無くなっています。神は天皇のみという時代に仏教を排除したきれず、身近なものだった仏教(馬頭観音とか)は簡単に復活した。
ざっくり、こんな感じ👇。
江戸時代:馬の安全を祈って「馬頭観音(仏)」を建てる。
↓
明治時代:神仏分離の嵐。「観音」だとマズいので「馬力神(神)」に名前を変えて信仰を守る。
↓
昭和初期:取り締まりが落ち着き、やっぱりお馴染みの「馬頭観世音(仏)」として堂々と新調される
↓
現代:馬から「鉄の馬(自転車)」に乗り換えたサイクリストたちが、道中の安全祈願として手を合わせていたら、なかなか意味が深すぎて面白い🤣。
自転車に乗っていて、自転車を馬に例える気分にはなかなかならないですねー、はい。
馬力神(欠ノ下)
清水の石仏群と馬力神から、さらに下ったところに「馬力神(欠ノ下)」があります。「欠ノ下」と書いて「かけのした」と読むそうです。
ちゃんとありますよ馬力神。切り株の存在、草の勢いがありすぎて、埋もれ気味ですがw。

「馬力神(欠ノ下)」説明板。内容は前述と同じです。2021年に撮影した写真と見比べると、上部の黄色いパーツが白色化しています。

| 馬力神(欠ノ下)(かけのした) |
|---|
| 江戸時代、馬は農家において労働力の担い手として大きな役割を果たし尊重された。 馬の安全を祈って馬頭観音の石塔を建てる風習が起こった。 その後明治になると神仏分離の風潮が強まり馬頭観音から馬力神へと変化していった。 高柿町お宝さがし実行委員会 高柿町会 |
変われば変わるものですね。馬が当たり前の生活とか想像できない。犬や猫、爬虫類、昆虫とか家族に迎えている今の時代、馬を家族に迎えているのは聞かないわけではないけど、ほぼない。
これにて、高柿町散策マップ内でナンバリングされていたスポット全巡達成しました🎉。
後記
久慈川サイクリングコース起点から終点までウォーミングアップ?しつつ、終点付近で史跡巡りとはなかなか...いい運動になります🤣。走行距離は、前回の大里町と同じ、50km弱ぐらい。高柿町も難易度が高かったなぁ~w。「猫渕横穴古墳群」は自転車を置いていけば良かったけど、「富士山と八重桜」は置いても草を掻き分けての登山でした🤣。雁取の石仏群も草だったけど、なんとなく距離感はあったし、前述の強烈な地点を乗り越えた後だったから、ハイな感じで気楽に踏破出来た。
さて、次回の全巡踏破は未定です。
おわり。

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