【富士山と八重桜とか】久慈川サイクリングコース終点付近スポット

2026/06/14

サイクリング

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thumbnail こんばんは。
少しの草地も自転車おして踏破するtanayasu99(たなやす)です。

久慈川サイクリングコース終点付近スポット巡り2026年第2弾、常陸太田市高柿町の史跡13ヶ所+αを巡っていきます。今回も1日で巡った話になりますが、記事としては3つに分けて展開していきます。
ということで、常陸太田市高柿町の歴史とかへ、クロスバイクで立ち寄ってみたというお話パート2です🚴。

馬頭観世音

ナンバリングされていなかった「廃寺跡」の地から、少し戻る感じで登坂しつつ、気になっていた石碑へ向かう。しかし、走ってきた道を素直に辿らず、遠回りかもしれないが、見慣れない道を走りたくなる病気が発症したw。まだまだ序盤、この登坂では体力を使わず慎重にゆっくり走ることに徹した。
常陸太田市高柿町散策マップ_馬頭観世音

「高柿転作推進センター」は英語で「Takagaki Community Center」...。「転作」とは、同じ農地でこれまで育てていた作物とは違う種類の農作物を栽培することのようです。1年間で途切れなく収穫が出来て、収入が見合えば良いのかもしれませんね。
常陸太田市高柿町散策マップ_高柿転作推進センター

からの~、綺麗な階段の先に気になっていた石碑が見えます。
常陸太田市高柿町散策マップ_馬頭観世音

「馬頭観世音」...「観」が変わった形をしています。
常陸太田市高柿町散策マップ_馬頭観世音

高台ゆえに良い景色でした。続く道の先には石造の亀、相馬妙見神社が見られました。道路向かいの住宅の警備音が壊れたかのように、ずぅーーーっと鳴り響いていて、こちらまで落ち着かないので長居せず撤収しました🐒。

高柿城跡

高柿城跡へ。
常陸太田市高柿町散策マップ_高柿城跡

「高柿城跡」の幟が...絶対に読めない向きで風にあおられ続けています。「高柿城跡 山入の乱 合戦の地」とのことです🛠。
常陸太田市高柿町散策マップ_高柿城跡

現代において当時のような合戦はココにはありませんが、この短そうな登坂であってもポンコツにとっては、ヒルクライム合戦です🥵。...「タカガキのサタケェーーー!🤬」...。
常陸太田市高柿町散策マップ_高柿城跡

短い登坂だろうと思っていたとおり、想定どおりの疲労で到着。アレも桜です。
常陸太田市高柿町散策マップ_高柿城跡

「高柿城跡」の説明板。
常陸太田市高柿町散策マップ_高柿城跡
高柿城跡
 高柿城は、字御城・字古屋地内の台地に築かれた中世の山城で、城の本郭はほとんど消滅しているが、周囲には小規模ながら堀や曲輪跡が見られる。
 治承4(1180)年、源頼朝が佐竹秀義追討のとき、佐竹義長なるものが居城して、頼朝軍と戦ったと言われている。
 戦国時代、山入の乱が起った折、高柿城主高柿久高は山入軍に対抗した。戦いの最中、久高は討死するが、高柿氏は終始佐竹氏のもとで戦い続け、苦難の末に乱世を乗り切った。
 天正19(1591)年、高柿信久のとき松平性に復帰、後に慶長7(1602)年佐竹氏が羽州へ国替えとなり、廃城したと伝えられている。
高柿町お宝さがし実行委員会
高柿町会

ひとつは、源頼朝が平家ぶっ潰す!って挙兵した頃のお話ですね。源頼朝「北側にいる佐竹さんが敵対するってマジ?安心して南側に行けないじゃん。佐竹秀義征伐!」で、道中に居た同族の佐竹義長の居城もぶっ潰す!みたいな感じだったかと。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、ワンピースのサンジ役の中の人(声優・平田広明)が佐竹秀義の兄・佐竹義政を演じて、上総広常(佐藤浩市)に瞬殺されるという。秀義は敵対したけど、義政は頼朝に味方しようとした所だったのにね。

もうひとつは時代が変わり、幟にもあったとおり「山入の乱」です。佐竹家の相続問題があって、佐竹宗家と山入氏が約100年間も争いました。ことの発端は、佐竹宗家に跡継ぎがいなくなってしまい、関東管領の山内上杉氏から養子を迎えたけど、「佐竹家庶流に居るだろうが!くそボケがっ!!」って山入家が憤慨したって感じ。「山入家」とはいうけれど、もとは佐竹である。佐竹師義(もろよし)が足利尊氏から久慈郡山入を所領として与えられ、山入氏を名乗るようになってた。師義が7番目の男子、さらに母が側室だったこともあり、庶流として軽く見られていた感が否めませんね。宗家からすれば庶流から佐竹当主を選出するぐらいなら、関東管領から...っていうことだったのでしょう。...いや、なんのための分家やねん。

ポストの中には、資料「ふるさとの歴史文化遺産」が丁寧に入っていました。表紙には、撮影し忘れた鬼の形相「猫淵9号横穴の線刻図」が描かれています。
常陸太田市高柿町散策マップ_高柿城跡

「堀跡200m」とのこと。
常陸太田市高柿町散策マップ_高柿城跡

「高柿古城跡→」とのこと。情報過多になりつつあるw。
常陸太田市高柿町散策マップ_高柿城跡

説明板を背に開けている方を眺める。ゆるやかな斜面が広がっていました。
常陸太田市高柿町散策マップ_高柿城跡

遠くにうっすらG1タワー(ひたちなか市)とかが見えます。
常陸太田市高柿町散策マップ_高柿城跡

さて、古城跡散策へ。楽し気な「順路」がありますが...。
常陸太田市高柿町散策マップ_高柿城跡

「空堀跡」...散策路があるようで...。
常陸太田市高柿町散策マップ_高柿城跡

いやー...なんかどこをどう歩けば分からんなー。先行き不鮮明なので深入りせず撤収です🐒。馬坂城跡を参考にして造り込みしてほしいです。
常陸太田市高柿町散策マップ_高柿城跡

道路元標

「道路元標」(どうろ げんぴょう)です。どれが?笑
常陸太田市高柿町散策マップ_道路元標

「道路元標」説明板。
常陸太田市高柿町散策マップ_道路元標
道路元標(どうろ げんぴょう)
 大正8年、旧道路法により道路の起終点を示す付属物として、全国市町村の街道筋に1箇所指定することとされ、旧金砂郷村高柿地内の役場所在地付近に設置された。
 今では道路改修が進み、殆ど消滅してしまい、現存するものは珍しく、当時の道路事情を知るうえで貴重な遺産といえる。
高柿町お宝さがし実行委員会
高柿町会

道路の起点終点に付属物を設置するルールとか、簡単に風化しそう。設置に金も時間もかかるし、現地になくても地図に書いておけば良くね?みたいな。逆に地図を見なきゃ分からない事の方がめんどくさい!って事もあったのだろうか。

っで、付属物もとい「道路元標」はコレらしい。文字が刻まれているらしいけど、全然読み取れなかった。
常陸太田市高柿町散策マップ_道路元標

刻まれているであろう文字も読み取れないから、実はコッチの石が道路元標なのかと疑った笑。
常陸太田市高柿町散策マップ_道路元標

っで、写真に一緒に写っている鳥居は次の目的地「金砂郷護国神社」です。
常陸太田市高柿町散策マップ_道路元標

金砂郷護国神社

鳥居をくぐって、クロスバイクを押し歩く。傾斜キツすぎ、落ち葉があって危ないと判断。サイコンは押し歩きによる平均速度低下がメンタルに良くないので、計測停止させている。
常陸太田市高柿町散策マップ_金砂郷護国神社

拝殿や手水舎、慰霊塔、記念碑のあるところに辿り着きます。
常陸太田市高柿町散策マップ_金砂郷護国神社

「金砂郷護国神社」説明板。
常陸太田市高柿町散策マップ_金砂郷護国神社
金砂郷護国神社
 明治10年の西南戦争以来、明治・大正・昭和にかけての戦争で殉死された金砂郷地区出身者508柱の英霊をお祀りして、昭和33年に造営された神社である。
 昭和18年に旧金砂地区の青年団が中心となり、各神社内に「鎮霊社」を設立したのが始まりである。
 昭和38年、「金砂郷護国神社」と改称し、同46年に拝殿が新築された。
 平成23年の東日本大震災により屋根などが破損したため、同29年に大改修が実施された。
高柿町お宝さがし実行委員会
高柿町会

手水舎。奉納モノらしい。
常陸太田市高柿町散策マップ_金砂郷護国神社

慰霊塔と自治記念碑。
常陸太田市高柿町散策マップ_金砂郷護国神社

自治記念碑には、その名のとおり金砂郷の歴史が刻まれている。
常陸太田市高柿町散策マップ_金砂郷護国神社

景色はいいぞ~。
常陸太田市高柿町散策マップ_金砂郷護国神社
常陸太田市高柿町散策マップ_金砂郷護国神社

富士山と八重桜

常陸太田市高柿町散策マップ_富士山と八重桜
さて、事前調査で、解明しきれなかった「富士山と八重桜」という所へ行くには、この金砂郷護国神社の拝殿の右側を通り抜けて登山してゆく。航空写真で木々の色や切れ目、等高線を読み取り、だいたいここに散策路がありそうだと推測。標高が上がっている時点でコレたどり着けるんか?!と、高柿町散策マップ最大の難所だと身構えていたが...。

轍が頼りなくなり、視界には緑色の占有率が高まってゆく。
常陸太田市高柿町散策マップ_富士山と八重桜

轍が復活したが、既にその先が緑色でおおわれている景色を嫌でも把握できてしまう。嫌な事も未来予知できれば、対処方法も考えられるが撤退以外に有効な手段が思い当たらないw。
常陸太田市高柿町散策マップ_富士山と八重桜

来た道を振り返る。「あれ?道が緑に覆われて、まるで退路を塞がれているようだ。」って思うしかない光景でした。我が友、ワダチはいずこへ...。ワダチは僕とのトモダチ関係を辞めたようです。
常陸太田市高柿町散策マップ_富士山と八重桜

サイコンを蜘蛛の巣まみれにしながら、ようやく説明板が見えてきた。これほど緑というか自然に還っている道の先に説明板なんてあるのか?って疑心暗鬼になりかけていたところだった。
常陸太田市高柿町散策マップ_富士山と八重桜

猫渕横穴古墳群もなかなかだったけど、こっちもまぁまぁ酷いw。自転車を置いたところで、軽い藪漕ぎ(草をかき分ける)作業は必須だろうし、なかなかの難易度だった。

到着🚩。間違いなく目的地であることを示す説明板、中心にそびえる大きな樹木を見て、自転車押し歩き登山の苦労が報われた気がしました。
常陸太田市高柿町散策マップ_富士山と八重桜

「富士山と八重桜」説明板。
常陸太田市高柿町散策マップ_富士山と八重桜
富士山(ふじやま)と八重桜
 江戸時代は、松の木を産出する水戸藩の藩有林であった。その後、明治に入り、高柿村所有の山林となり、現在は市有林となっている。
 昭和40年代に松枯れ対策のため、杉・檜が植林された。
 標高92メートルの山頂には祠が建っており、眺望も良く晴れた日には、日光連山・筑波山を望める。
 また、山頂から山麓にかけての斜面に八重桜の樹林が続いている。昭和60年に金砂郷村の記念事業で桜の苗木200本が植えられたものが今では立派に成長し隠された花見の名所となっている。
高柿町お宝さがし実行委員会
高柿町会

祠です。
常陸太田市高柿町散策マップ_富士山と八重桜

疲労困憊過ぎて、景色を楽しむどころではなかった。あーアレが筑波山だね(違うw)。
常陸太田市高柿町散策マップ_富士山と八重桜

...。なんかさ...この説明板の内容を山のふもとで読んだ方がしっくりくるのは気のせい?「標高92メートルの山頂には祠が建っており」「斜面に八重桜の樹林が続いている」...ふもとから山を見て、桜色を見て楽しむのが良いんだよwみたいな。

大きな樹木は、たぶんケヤキ。説明板と祠に挟まれてはいるが、説明には登場しない。
常陸太田市高柿町散策マップ_富士山と八重桜

昭和60年に植えたということは、41年ぐらい経っている。寿命は40~60年程度らしく、下限値に引っ掛かり始めた感じです。次の世代を植えているのだろうか。

説明板の先は、やや下り気味でハイキングコース的な感じで道が続いている。
常陸太田市高柿町散策マップ_富士山と八重桜

ケヤキ・祠を中心に円状な広場を形成しているのが分かる。しっかり整備すれば、良き森林公園になりそうだが、需要はないのかな。
常陸太田市高柿町散策マップ_富士山と八重桜

上りは地獄、下りは早く終わる。っで、200本の八重桜を意識しつつ、サクラっぽい樹木に注目する。
常陸太田市高柿町散策マップ_富士山と八重桜

折れている樹木が目立つ。木の表皮が、老木を醸し出しており、寿命を感じずにはいられない。
常陸太田市高柿町散策マップ_富士山と八重桜

銀杏の木。広がり良く、シンボル的な雰囲気がある。
常陸太田市高柿町散策マップ_富士山と八重桜

しかし、倒木注意とのことで、樹齢はまぁまぁいってそう。
常陸太田市高柿町散策マップ_富士山と八重桜

これはメタセコイアかな。こういう背が高いメタセコイアしか見たことないけど、5メートルぐらいのメタセコイアとか見てみたいな。
常陸太田市高柿町散策マップ_富士山と八重桜

今回、「富士山と八重桜」よりツラい事はもうないだろう...って一瞬だけ思った。このルートの最大の欠点であり難所となる最終登坂が待ち構えていることと、もう1ヶ所だけストリートビューで確認しきれなかったところがあること。「あと少しで完結だ」「前回の大里町よりは体力の消耗が緩やかだから大丈夫だ」と自己暗示してゆくのだった。

後記

事前調査が足らなかったせいで、「富士山と八重桜」の道のりにはネガティブな印象しかなかった。それっぽいワダチがあっただけでも「あ、コレ、行けるところまで行かないとダメなパターンだな」という、わずかな見通しの良さで、超ポジティブになったけど、低レベル藪漕ぎに気持ち的にも苦戦した。

さて、次回は高柿町パート3(最終話)。石仏群と馬力神、吉田神社に立ち寄ります🚴。

おわり。

自己紹介

自分の写真
どうも、水戸近辺在住のtanayasu99(たなやす)です。ブログタイトルを変えて3年目の2026年となります。ブログの内容はクロスバイクやサイクリング、その他雑記、気になった商品の備忘録で続けていこうかと頑張ってみます。よろしくお願いします。

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