こんばんは。少しの険しい道ならば踏破するtanayasu99(たなやす)です。
久慈川サイクリングコース終点付近スポット巡り2026年第2弾、常陸太田市高柿町の史跡13ヶ所+αを巡っていきます。今回も1日で巡った話になりますが、記事としては3つに分けて展開していきます。
ということで、常陸太田市高柿町の歴史とかへ、クロスバイクで立ち寄ってみたというお話パート1です🚴。
久慈川サイクリングコース起点から終点
1週間前ぐらいに走ったばかりなので、特に変化を感じずササっと終点の地まで快走してしまおう!っという気持ちで出発🚩。久慈川サイクリングコース起点、久慈大橋にて📷。

たまには「久慈川サイクリングコース」看板も📷。左の看板は「いばらきヘルスロード・日立 久慈川サイクリングコースと田園風景の道」という、久慈川サイクリングコースをなるべく日立市に絞った内容である。"なるべく"というのは、竹瓦橋周辺が東海村になっているから。

久慈川合流点(里川)
気付いていないだけで何か変わっていないだろうか?と思うことはいつものこと。久慈川本流と久慈川水系里川の合流点。

何も無いようで実はある。河川にはいろいろ技術が導入され、もはや土木技術のオンパレードといっても過言ではない。と思う。
これは里川にある「堅磐床固」(かきわ とこがため)です。堅磐はその地区名で、床固は河床の過度な侵食を防ぎ、川底の高さや勾配を安定させるために河川を横断して設けられる施設とのこと。

北関東最大級のサギ類の集団繁殖地(コロニー)があるせいか、しばしばサギをこの床固で見かけることがあります。近年、環境が変わったせいかコロニー感が減ったような気もします。
終点の地
毎度おなじみの久慈川サイクリングコース終点の地にて...草の成長が著しいw。前回から1週間ぶりだからか、体力的に余裕を感じていました。この時は...。
では、いよいよ本日のメインクエストへ、高柿町の史跡等を巡っていきます🚴。
大越堰と石門の潭
大越堰と石門の潭...です!

ヌシがおりました。

いつものソイジョイ!暑い日でも溶けない補給食として年中活用しています。

久慈川サイクリングコース終点の地が日当たり抜群すぎて、常井橋の下にもぐっても暑い。っという時に、もう少し川沿いに北上していくと、ココ大越堰は避暑地・休憩地点としては抜群です。(暑いとき暑いですがw)。確実にクールダウンしたいなら、セブンイレブンとか近くにあるんでそちらへ。
「大越堰と石門の潭」(おおこし せき と いわと の ふち)の説明板。

| 大越堰と石門の潭 (おおこし せき と いわと の ふち) |
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| 江戸時代の山田川は、度々氾濫を起こす暴れ川であった。その後改修を重ね、昭和25年に現在の大越堰が完成した。 今でも下流域30ヘクタール余りの美田を潤す豊かな水を供給している。 また、上流の猫渕は、説によると奈良時代の書『常陸国風土記』の中で「石門の潭」と記された場所ではないかと言われている。 古代の人々が盛夏の涼を求めてひとときを楽しんだ情景が偲ばれる。 高柿町お宝さがし実行委員会 高柿町会 |
堤防上(天端・てんば)から階段もスロープもなくて、もう少し行きやすくしてほしいところ。堤防の斜面で地味に神経をつかう。

というのは、この後のことを考えると、とてもとても些細なことです。
猫渕横穴古墳と壁画
「大越堰と石門の潭」説明板の下にあったとおり、ここから猫渕横穴古墳へ行けます。しかも比較的早く辿り着ける👍。実は3回目なので自称プロ級ですw。...えぇ?...
すぐ横は優しい断崖絶壁で、川の水面が見えており山田川への滑落リスクは低くはない。しかも、初夏に似合わず落ち葉が多くて滑りまくりです💀。

最初の分岐点。ひと気はなく、絶対にエンカウントしない自信しかないw。

案内板には、さきほどの「大越ノ堰」、目的地の「猫渕横穴」、次の次の次の次ぐらいに立ち寄る予定の「高柿城跡」が、ざっくり記されています。

ここで重要なのは大越堰と、まだ見えぬ猫渕横穴古墳の位置関係ですが、通勤通学並みに慣れていれば5分ぐらいの距離です。っで、高柿城跡へは案内板からは想像しずらい距離ですが、どちらにせよ九十九折(つづら折り)のとおり登山が待っています。
はい、目的地「猫渕横穴古墳と壁画」です。

「村指定遺跡 猫渕横穴古墳」の説明板。なんかデコボコしてて、妙な立体感があるようにみえたり、あれ布なんじゃね?とか思ったり。よぉぉぉーーーく見ると、正面の壁中央やや左ぐらいのところに魚の絵が刻まれています。

| 村指定遺跡 猫渕横穴古墳 |
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| 古墳時代末期7世紀頃の横穴古墳群10基のうち人物壁画のある古墳は全長17メートル玄室長3.3メートル、高さ1.8メートル、奥行巾2.4メートル、両手に剣を持つ上半身の人物像が描かれ、頭髪アゴヒゲなど、まるで仁王像のようである。地元では「弘法大師瓜描不動」と呼んでいる。 所在地、金砂郷村高柿御所平 |
ちょうど明暗加減が悪くて写らなかったのですが、魚の右上ぐらいの位置に●に∵みたいな壁画っぽいのもある。なんか不気味だったので写らなくて良かったかも。
2021年6月頃に立ち寄った際の様子はこんな感じ。「写らなくて良かったかも」とは?w。

っで、鬼の形相と称された壁画は...カメラの調子が悪くて写せませんでしたw。
だいたいこの辺を見れば、説明板にあったとおりの上半身人物像の壁画に気付けると思います。
滑落しないように引いて撮影した感じはコチラ👇。左の穴がさきほどの説明板が設置されている穴。この2つの穴は繋がってはいない。

さらに崖沿いに進むと、多数の穴を確認することが出来る。

過去に踏破した道筋もとい急斜面に設置された階段が見られます。ここまでの道のりが既に苦しいw。

さきほどの分岐点まで素直に戻ります。幾度となく山田川に吸い込まれそうになるw。

自転車を置いて、散策しても良かったんじゃないかと。

登頂完了w。まぁまぁとんでもない所に出た感があるのは何故だろう🤣。田畑の間過ぎるw。

これを登ってきたと。逆から...つまりは「ここから猫渕横穴古墳と壁画を見に行こうぜ!」とはなるならねーよ?

細いあぜ道を通り抜けると、案内板が...。なかなか「ここから猫渕横穴古墳と壁画を見に行こうぜ!」とはなるならねーよ?

おススメとして左からの理由はコレ。説明板があります。

遅くなりましたが、毎度おなじみ説明板「猫渕横穴古墳と壁画」です。

| 猫渕横穴古墳と壁画 |
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| 横穴は、字御所平地内の山田川崖地にあり、現在までに11基が確認されている。これまでの調査によれば、古代の久慈郡衙の官人が埋葬された墓跡と考えられている。 横穴のひとつに乱れた頭髪の人物壁画が描かれているが、怒りに満ちた形相は、鬼の顔であり、古代人は、死者の霊をこのような形で表現したのではないかと言われている。7世紀後半に造られたと推測され、市の文化財に指定されている。 高柿町お宝さがし実行委員会 高柿町会 |
今回の流れで言えば、この排水溝から下れと言われても、なんら疑わないことでしょうw。

さきほどの写真でいえば、こちら正解です。さきの見えない写真で分かりにくいですが、大丈夫です。序盤で下から見た階段が見えてくるはずです。

猫渕横穴古墳、撤収🐒。
「町指定文化財 猫淵横穴古墳群入口 金砂郷町教育委員会」の看板とか。

「猫渕横穴古墳と壁画 約300m→ 高柿町お宝さがし実行委員会 高柿町会」...まるでココからが正規ルートみたいな賑わいではないか。...うん、間違いなくそうでしょうね。大越堰からはなかなか行かんよ。そのルートでしか行ったことないけどw。

駐車場もあったそうです。民家の前のあの部分?なし寄りの...なしにしか見えなかったけど。クルマで立ち寄る際は事前にストリートビューでご確認を👋。

2021年に立ち寄った時の様子を記事にしていました👇。自転車は置いていくべきですね。
石仏群(御所平)
盛大なる出入口から数百メートルのところに、「石仏群(御所平)」があります。良い雰囲気の樹木は枝垂桜のようです。
草の勢いもあって、よく拝見せず。枝垂桜が咲く頃にまた来て、よく見れば良いかなと。

「石仏群(御所平)」の説明板。

| 石仏群(御所平)(ごしょだいら) (子安観音仏) |
|---|
| 江戸時代、農民生活の中から生まれた如意輪観音信仰は、十九夜講などを通じて盛んになった。「十九夜講」とは、母子の健康と安産・子育てを願い「供養」と称して実施する女性の行事である。ほかにも「二十三夜講」・「二十六夜講」などがある。 昔から「ハガイタサン」と呼ばれ、顔に片手をあてている「如意輪観音仏」と、おなかに子供を抱いている「子安観音仏」に、「地蔵仏」を加えた3体の石仏が並んで設置されているものが多い。 高柿町お宝さがし実行委員会 高柿町会 |
「十九夜講」とか講義みたいな感じで難しそうな事かな?と思いきや、今でいう女子会だったという説もw。オシャレなカフェやレストランがないにしても、茶菓子を持ち寄り、お話している姿は容易に想像できますね。
石仏群のある角地、高柿城跡への入り口でもあります。まだこちら側で立ち寄りたいスポットがあるので、体力も惜しまれますがいったん下ります。

石仏群(内出)
続いても石仏群です。
「石仏群(内出)」の説明板。地名や観音以外、内容は同じでした。まとめると、女子会。

| 石仏群(内出)(うちで) (十九夜観音石碑・延命地蔵石碑) |
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| 江戸時代、農民生活の中から生まれた如意輪観音信仰は、十九夜講などを通じて盛んになった。「十九夜講」とは、母子の健康と安産・子育てを願い「供養」と称して実施する女性の行事である。ほかにも「二十三夜講」・「二十六夜講」などがある。 昔から「ハガイタサン」と呼ばれ、顔に片手をあてている「如意輪観音仏」と、おなかに子供を抱いている「子安観音仏」に、「地蔵仏」を加えた3体の石仏が並んで設置されているものが多い。 高柿町お宝さがし実行委員会 高柿町会 |
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こちらも屋根があり、3方向しっかり覆われております。左か右か分かりませんが、それぞれ十九夜観音・延命地蔵ということでしょうか。

廃寺跡
「廃寺跡」、散策マップにはナンバリングされていませんが、説明板が設置されていたので立ち寄ってみました。
「廃寺跡」の説明板。

| 廃寺跡 |
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| 江戸時代の開基帳などの資料によれば、高柿町内には「宝徳院」・「養福院」と「宝珠院」の3箇寺があったことが記録されている。 水戸光圀・斉昭が行った2度の寺社改革により、寺院がことごとく廃処分された。 前述3箇寺のうち1箇寺が幕平地区にあったと言われており、古地図に「寺地」という地名が記されている。 高柿町お宝さがし実行委員会 高柿町会 |
水戸藩主2代目の徳川光圀(義公)、9代目の徳川斉昭(列公)の「寺社改革」が特に凄まじく、全国的に見ても非常に徹底された、ドラスティックな宗教政策として有名。しかし、なんで改革という名の減反政策的なことをやったのかは興味がなかったので、今回少しだけ調べてみました。
水戸藩は「水戸学」と呼ばれる独自の学問が盛んで、そこでは「日本古来の神様を大切にし、天皇や国家を敬う(尊王神道)」という考え方が非常に重視されていました。当時の仏教寺院は、幕府の政策(寺請制度)に守られて過剰に増え、経済的にも豊かになりすぎていたため、水戸藩は「お寺が多すぎるし、贅沢だし、本来の神道がおろそかになっている」として、大ナタを振るうことにしたのです。
組織が巨大化したり、拠点が増えると堕落したり・腐敗することってありますね。先日サイクリングで立ち寄った常陸太田市大里町にある来迎院も、元は「貴富山阿弥陀院安楽寺」といって、住職が不祥事やらかして廃寺となったようです。
後記
さすがに石仏群で深掘りするのは難しいなぁーって試行錯誤です。今は「説明板どおり3体いるな!」とか「頬杖でおられるな!」とか現物を確認するだけで精一杯。時代背景とかまで考えられるようになると良いかなー。さて、次回は高柿町パート2。地元の戦国武将・佐竹氏ゆかりの高柿城跡、道路元標、金砂郷護国神社、富士山と八重桜へ立ち寄ります🚴。
おわり。

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