こんばんは。行けばわかるさtanayasu99(たなやす)です。
今年(2026)も久慈川サイクリングコース終点付近スポット巡りを始めていきます🚴。2026年初回は(常陸太田市)大里町の史跡13ヶ所+αを巡っていきます。1日で巡った話になりますが、記事としては3つに分けて展開していきます。
ということで、常陸太田市大里町の歴史とかへクロスバイクで立ち寄ってみたというお話パート3(最終話)です🚴。
お不動尊
黄色にきらめく石憧の続きです。残りのスポットは、ほぼ1本道で完結します👍。角地にある「お不動尊」です。

「お不動尊」説明板。

| お不動尊 |
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| 不動明王をお祀りし、地域の人々の信仰や生活の拠り所として、手厚く守りつづけられています。これは、明治36年に那珂郡芳野村大字戸崎(現 那珂市)より譲り受けたものと言われています。 現在も旧暦に合わせて「御田植祭」が行われ、地元青年会による出店が出ています。 なお、その昔、赤城神社の祭礼の時の名残りとして、近くに「旗柱」と呼ばれるところや、「幟」・「神輿」などが現存しています。 大里一町会 大里二町会 |
「手厚く守り続けられています」と説明板にあるとおり、建て替えられています。ストリートビューで10年以上も振り返ると変わった点に気付くことも多いです。

弁財天(水神様)
ここは、かろうじてストリートビューで説明板の片鱗とかを確認できたスポットです。事前調査は大切。探索は10件中1件ぐらいでお腹いっぱいですw。
散策マップにもこのアングルで掲載されてて、やっぱり鳥居の上部がなかったです。

「弁財天(水神様)」の説明板。

| 弁財天(水神様) |
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| ここは昔、泉が湧いていたことから、水に関係の深い場所に祀られる「弁財天」が祀られたと言われており、湧き出た水を水田などに利用していたとも伝えられています。 また、ここは「釈迦堂」という呼び名で地域の人々に親しまれています。 大里一町会 大里二町会 |
1メートルもないトトロの道のような雰囲気の先に、泉っぽい景色が見えます。説明板を読んでいるから「泉」と思えるだけで、いきなり画像見たら、「は?」って思うだろうなー。

(今回のサイクリングはスマホのカメラで撮影していたので、明暗差によるフレア(光の乱反射)が発生し一部赤くなっています。)
地面?泉?の警戒心→水面(植物)まったく動かない→しかし泉と断定→これ以上観察のしようがない。たぶん季節が変われば見た目も変わるのかもしれないなぁ

鳥居もとい石柱のそばには、手水舎のような物体が...。

コンクリートがあるけど...よく分からない。

北宿古墳
ここも、かろうじてストリートビューから説明板が見られたスポットw。この写真は説明板からメイン道路へ向かって撮影した1枚。
北宿古墳。この時点でどこら辺が古墳なのか、まったく分かりませんでした。緑に覆われすぎて...。

「北宿古墳」の説明板。
| 北宿古墳 |
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| この古墳は前方後円墳で、平成23年に新たに発見されたものです。 鍵穴のような平面形で、6世紀半ばから末にかけて築造されたと考えられ、全長約40メートル、後円部の高さ5メートル、後円部の南側斜面には、横穴石室の一部と考えられる石材が露出しています。 大里一町会 大里二町会 |
階段があって、丘がありーの、祠が見えました💡。

祠の後ろ(?)にある一本杉が神々しい。

階段下からの景色だけで満足したので、露出している石材を探したり、周囲散策はしなかった。
これにて、大里町散策マップ内でナンバリングされていたスポット全巡達成しました🎉。
天台宗 来迎院
「天台宗 来迎院」の参道。散策マップにはナンバリングされていなかったのですが、これまでの13ヶ所を凌ぐ立ち寄りスポットです。文化財や史跡に甲乙つけるのは微妙な気がしますが。
「阿弥陀堂楼門」茅葺き屋根とは迫力ある大きさ。左右に仁王像を納めていることから「仁王門」と呼ばれるそうです。

周囲に大きな建物はなく、楼門の存在感が際立ちます。

楼門の中に「県指定文化財」の説明板がありました。この文化財がスゴイ!ってことですね、ハイ!

| 来迎院 県指定文化財 |
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| 一、名称 木造 阿弥陀如来坐像 1躯 昭和40,2,24指定 木造像納小仏頭1箇 昭和40,2,24指定 阿弥陀堂本堂1棟 昭和44,3,20指定 阿弥陀堂樓門一棟 昭和44,3,20指定 二、阿弥陀如来像 鎌倉時代の作で寄木造漆箔で上品上生の印を結ぶ巨象、なお頭部の中に藤原期の小仏頭が収められている 三、所有,管理 大里 天台宗 来迎院 |
手水舎。

「阿弥陀堂本堂」(本殿)です。楼門と同じ建築様式らしく雰囲気がよく似ていますが、建築時期は異なるようです。

説明板「来迎院の文化財」。

| 来迎院の文化財 |
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| 来迎院は光明山安養寺と号する天台宗の寺院である。江戸時代初期には、この地に貴富山阿弥陀院安楽寺という真言宗の寺院があったが、住職が罪を犯して追放されたことで廃寺となった。その後、天和3年(1683)、大洗神社の別当寺院であった大洗山普賢院が、水戸藩の神仏分離政策によって安楽寺の跡に移り、元禄5年(1692)には、現在の名称に改められている。 本尊で、県指定文化財の木造阿弥陀如来坐像は、像高158.3cmの緊迫の一木づくりで、平安時代の作と考えられている。 本堂と楼門も県指定文化財で、享保3年(1718)の建築の本堂は、8.5m四方の正方形の茅葺きの建物で、お堂と回廊を一体にした堂宇(どうう)造りという様式である。仁王像が入る茅葺きの二層建築の楼門は、梁に「宝暦十年」(1760)という墨書きが残されている。 常陸太田市教育委員会 |
少し激動の歴史が垣間見えましたね。かつてこの地にあった安楽寺は、住職が罪を犯して寺そのものが廃業もとい廃寺。その跡地に、今度は大洗から普賢院が水戸藩の政策で引っ越してくる。そして最終的に、元禄時代に改名して来迎院に落ち着くという。
「住職の不祥事」や「お上の政策」に振り回された挙げ句、最後に『来迎』という名前で迎えられるとは、皮肉が効いているのか、それとも救いがあるのかw。この茅葺きの二層楼門、そのすべてを見届けてきたのかと思うと、ただの巨大建築には見えません。
なんかパンフレットがあったので手にしてみます。

本殿の後ろに何かあるらしいので...。

| 来迎院 度胸試し・・・ |
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| お阿弥陀さまの本殿の後ろの絵馬の所に、かつて髪の毛が束ねてあった。(戦時中、出兵した人の母親や奥さんが武運長久を祈り髪の毛を捧げた) 夏休みの時期になると子どもたちは、後ろのお墓を脇目に、髪の毛を持ってきて、また戻すという度胸試しをしたそうだ。女の人に着物を引っ張られ、倒れ、気絶してしまう子どもたちもいたらしい・・・。 |
ここかなぁ...。夜に本堂まわりを1周するだけでもなんかイヤw。冷ややかな気配がしたので慌てて表へ撤収しましたw。

後記
今無事に予定どおり全巡できました🎉。ひとつひとつの距離は自転車だと短くて、油断してると見落としやすいですw。初見だと分かりにくいところもありますが、たぶん大丈夫。御統監記念碑がどこにあるか分かりにくいけどGoogleマップで詳細を掴めるし、石憧は現地でよく観察すれば見つけられるしストリートビューで説明板は確認できるなど、雲を掴むようなレベルではない。弁財天や北宿古墳は、一部民家の敷地っぽくて嫌だったけど。間違ったら怒りを掴んでしまいそうで怖いw。
今までの巡り系で事前調査に時間を費やしたのは、常北八景だったかなぁ。那珂八景も標柱探索で時間を費やしているし完了したとも思えない。
さて、大里町の次は、高柿町の散策マップを参考にして、クロスバイクで全巡目指したというお話かもしれません。
おわり。

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