こんばんは。暑さで肺が潰されそうなtanayasu99(たなやす)です。
久慈川サイクリングコース終点付近スポット巡り2026年第3弾、常陸太田市芦間町の史跡8ヶ所+αを巡っていきます。今回も1日で巡った話になりますが、記事としては3つに分けて展開していきます。
ということで、常陸太田市芦間町の歴史とかへ、クロスバイクで立ち寄ってみたというお話パート3(最終話)です🚴。
八幡神社、天下野街道と金砂神社祭礼
村社 八幡神社の入り口にて。
鳥居に向かって左側にある「八幡神社」の解説板。

| 八幡神社 |
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| 祭神は、応神天皇。天照皇大神宮・北野天満宮・別雷皇大神を祀ります。 元は、芦間町の柳町地区に有ったのですが、元禄8(1695)年、水戸藩の命(八幡潰し)により現在の地に移されました。 東連地町の「嵯峨神社」を分社し合祀されましたが、後に八幡神社に戻されました。 他の八幡社に比べ規模は小さいですが、水戸藩の地域に残る数少ない八幡社の一つです。 芦間町会 芦間町お宝さがし実行委員会 |
常陸太田市散策マップ(ウォーキングマップ)をもとに散策していると、必ず寺社改革に触れることになります。ここでは「八幡潰し」と表現されており、ほかではそこまでの表現は見かけなかったので、ちょっと珍しいかなと。
八幡といえば、八幡神の加護を受け常陸国の所々に伝説を残す八幡太郎義家(源義家)が印象的です。義家の弟である新羅三郎義光(源義光)の孫にあたる昌義が佐竹氏の始まりとされており、一族の守護神として八幡神社を多く奉祀・勧請していきました。となると、佐竹氏が秋田に移された後に代わりに常陸国を治めることになった水戸徳川家としては、佐竹由来が強い八幡神社を消したかったのかもしれません。
まぁ現地にいる私としてはコバエを消したい気持ちでしたがw。
「天下野街道と金砂神社祭礼」の解説板。

| 天下野街道と金砂神社祭礼 |
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| 太田から天下野に至る道路で、天下野街道として栄えました。 神社の石段下の道標には 「南は誉田村下大門を経て太田町に至る、 北は和田を経て天下野に至る」 と記されており、当時は貴重な案内標でした。 7年目毎に挙行される金砂神社の小祭礼、73年目毎に挙行される大祭礼の御神輿はこの道路を渡御し、この地で神事が行われます。 金砂神社祭礼は815年に始まり、2015年に第199回小祭礼が挙行されました。 芦間町会 芦間町お宝さがし実行委員会 |
天下野...読み方は「てんかの」「てんかや」ではなく、「けがの」ですw。難読地名としてたまに出てきましたね。由来も面白いです。ざっくり言うと、黄門様が巻いた火種を黄門様自ら鎮火する際に生まれたような感じ。
ささら舞を見た黄門様が「この舞は天下一じゃ!」と言ってくれたので、この舞は「天下一」という幟を掲げていました。のちに将軍様が「天下一」の幟を見た時にブチ切れてしまい、同席していた黄門様が機転を利かせて「天下野(けがの)村唯一の舞」という意味だと説明したところによるそうです。
本題。72年に1回の大祭礼と6年に1回の小祭礼の時に、この辺を通過するよ!ってことでした。近年では、大祭礼が2003年に開催(17回目)で次回は7075年w、小祭礼がコロナの影響で2021年の開催は見送られ2022年に開催したみたい。「72年に1回」という事の方がインパクトがデカすぎて、小祭礼はあんまり取り上げられないけど6年に1回もなかなかである。
鳥居の前から眺めた芦間町。ここまで短めのイージーな登りがあったど、終盤ということもあり膝がつりそうだった。

正覚院
事前調査でGoogleMap上で登録されている事や(地点名だけでルートがよくわからん)、案内板があることは把握していた。しかし、「山下の鉄沓跡」のこともあるので辿り着けるか不明だった。正覚院も解説板を把握できなかったスポットだからだ。
ここまでは事前調査どおり。この先が未知の領域。

左か右か...散策マップ的にもここは左だろう。どちらでもコバエ地獄は回避できない景色である。

無難に予想は的中して、最後の目的地に到達🚩。たまに外れるから100%の正解はないと思っている。という不測の事態への(心の)ダメージコントロールは重要なのです。コバエ地獄の予想も的中でした🎯。

ここもコバエが凄まじい。

「正覚院」の解説板。

| 正覚院 |
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| 正伝山正學院久道寺、応永24(1418)年間基、石塚村金剛院(現在は無い)末寺です。 昭和の初期まで僧侶がいましたが、最後の僧侶は福島県の人で国へ帰ったと言われています。 現在の建物は、昭和53年3月に再建されたものです。 芦間町には、正覚院の他にも、満照院と安養院という2つの寺院がありましたが、共に建立年代は明らかではありません。 どちらも水戸藩3代藩主綱篠(つなえだ)の時代に取り潰され、内一つは、芦間町の東栄地区にあったとの言い伝えがあります。 芦間町会 芦間町お宝さがし実行委員会 |
石塚村って城里町の?金剛院って石塚城跡の隣で見かけたような(GoogleMap上で)...。やっぱりそうでした。今では「金剛院歌碑」と、その石碑が残っているみたいです。城里町も史跡が多いからオススメ。
なんか舗装路が続いています。

舗装路の先とは違うところに墓地が見えます。杉林すげぇ。

石碑や境内社みたいな何かが見えます。

院の縁側の下にはアリジゴクが。こっちはコバエ地獄なんだがw。

暑さで疲労困憊が促進する中、コバエ羽音により不快感も重なり、もはや散策するどころではなく、即撤収です🐒。
ようやく、芦間町散策マップのスポット全制覇となりました👍。いくつか怪しかったですが。
後記
そんな長距離ではなかったし、気温も夏らしいものでした。しかし「ようやく」って言いたくなるぐらい、コバエで頭がおかしくなりそうでしたし、時間を長く感じてしまいました。去年やそれ以前って、こんなにコバエひどかったかなぁ。...この季節に森の中を歩いたことなかったのか。今回の芦間町散策では、「山下の鉄靴跡」(岩)を発見できなったのが残念。コバエがいないであろう冬に再訪したい。...冬コバエなんてのもいるらしいが...。
おわり。

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