こんばんは。コバエの住処を踏み荒らすtanayasu99(たなやす)です。
久慈川サイクリングコース終点付近スポット巡り2026年第3弾、常陸太田市芦間町の史跡8ヶ所+αを巡っていきます。今回も1日で巡った話になりますが、記事としては3つに分けて展開していきます。
ということで、常陸太田市芦間町の歴史とかへ、クロスバイクで立ち寄ってみたというお話パート2です🚴。
山下の鉄沓跡
事前調査で"溜め池の先らしい"ということと、ウォーキングマップに岩の写真だけしか把握できなかったところ。しかし、「案内板の場所」までならGoogleMapなどで把握できた。
突入前に、念のため手前も散策したけど、案の定そこにはなかった。溜め池の前の桜の木が魅力的に見えた。
案内板のところに害獣対策のやつれた電線に気を付けて、突入してゆく。初手コバエの大群に絡まれる。羽音も不快だが、サングラスに止まられ、視界の悪さにも不快を超え殺意しかなかったw。多少リスクはあってもペースをあげるしかない。
溜め池沿いに...コバエを率いて...自転車を押し歩いて突き進む...早歩きでw。崖側に自分、池側に自転車...落ち方を誤ると自分自身の着水は免れないだろうというプレッシャー。

分岐点に立ち、どちらも見通しが悪い。自転車を置いて自分という斥候をとばしてみるが、左は途中で道っぽくなくなっていて、右の方が可能性がありそうだった。

っで、右は溜め池の中間地点ともいえそうな堤防になっていた。その端に不自然に覗かせた白い何か。見慣れた解説板を見つけて内心ガッツポーズだった。

「山下の鉄沓跡」の解説板。

| 山下の鉄沓跡 |
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| 八幡太郎義家伝説で、沢口溜池北側の山の中にある岩です。 昔、義家が奥州征伐の帰路、誉田村で旌桜を植え、瑞龍を経て瓜連を越える途中、急坂で馬が前足をすべらし岩に突いた時に出来た穴と言われています。 戦後間もない頃、地元の者が何人かで、この岩を掘り出そうとしましたが、失敗したといわれています。 芦間町会 芦間町お宝さがし実行委員会 |
「掘り出そうとして失敗した」らしいけど、岩が写っている画像は何だったのか。それとも、「戦後間もない頃」の話では失敗したけど、その後掘り出しに成功したということだろうか。
...岩が見当たらない。この時ウォーミングアップの写真を完全に失念していた。...くそぉっ!コバエが不快!!🤬

コバエが多すぎて冷静に見ていられないんだがw。手合わせで何度も巻き込んでいるけど、腕に疲弊を感じてきた。山中に響き渡る手合わせの音が静寂さを際立たせていた。

もはや散策マップどおりではないのだが、岩だけは...という可能性も捨てきれないが、道が道じゃなくなってて踏破出来ないしなぁ。

ちょっと諦めたくなってきた。溜め池を分断している堤防で、北ってあっちだよなぁ...藪漕ぎ必至なんだけど。。。コバエやばいし冬に再訪か。退散!!👻

一本杉
田園風景に立つ1本の杉。流れゆく水路もまた良い。小さな魚影にも癒される。
「一本杉」の解説板。苔がのっている~。

| 一本杉 |
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| 昔、この一帯は芦が生い茂る沼地で、杉の大木の立つ塚があり、「女郎塚」と言われていました。 「水府志料」によると、かつて「しま」という遊女がおり、入水し亡くなられたそうです。そして、池のほとりに埋め、墓印に杉を植えたといわれています。 しまの供養のため、毎年地主らが初籾をこの墓に祀っていたとのことです。 現在ある杉は、圃場整備のため、場所を変えて新たに植えられたものです。 芦間町会 芦間町お宝さがし実行委員会 |
なぜ入水したのかは不明ですが、埋葬や墓石の代わりに植樹、供養などの行いには、地元の人たちの思いやりのような気持ちが垣間見えた気がしました。
「水府志料」とは、江戸時代に実在した水戸藩の正式な地誌(古文書)とのこと。「志料」というのは資料の誤字ではない。
芦間ふるさとセンター
芦間ふるさとセンターとか。散策マップにはナンバリングされていない所ですが、なんか大きな看板もあるところです。
今回の立ち寄りスポットの元になった「芦間町散策マップ」の看板。ここ起点として行ってみよう!みたいな雰囲気がある🚶♀️。

「山下の鉄沓跡」の写真。岩は現存してるはずだが...見つけられなかったという探索続行できなかったことが悔やまれる。

石碑・流芳千秋。

石碑・公民館新築記念とか。

柳町遺跡
柳町遺跡の解説板設置場所にて。遺跡の範囲自体は広い。
「柳町遺跡」の解説板。

| 柳町遺跡 |
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| 柳町・東栄地区に所在する遺跡で、山田川左岸の台地上に立地します。 この近辺からは、土師器と須恵器が採取され、内面が黒色処理されたものや、高台がつけられた坏形土器の破片が含まれ、奈良・平安時代の集落跡が推定されます。 明治42(1909)年、耕地整理での用水路工事の際に、石棺が出土し、祠を建て、近くの方々がお参りをしていました。 芦間町会 芦間町お宝さがし実行委員会 |
土師器(はじき)は、弥生土器の流れをくみ、古墳時代から平安時代にかけて作られた赤褐色や黄褐色の素焼きの土器とのこと。
須恵器(すえき)は、5世紀の古墳時代中頃に朝鮮半島から技術が伝わり、日本で生産された青灰色で硬い陶質土器(炻器)とのこと。
坏形土器(はいけいどき)は、お椀や小鉢のような浅い皿状の形をした古代の土器とのこと。 古くから人の営みがあったということ。あんまり山奥だと廃村してたりするけど、ここら辺は主要道路もあり、人々の暮らしもある。
石棺の出土により、建てた祠がこれなのだろうか。

後記
石碑スポットとして巡るなら、芦間ふるさとセンターは立ち寄った方が良いです。漢文が読めないけどw。コバエは群がるだけで刺したりはしないそうですが、視界不良と不快感がヤバイ🤬。殺虫スプレーの持参もよぎったけど「山の中に突入しているくせに使うのもどうなのかなぁー」「もってくるのめんどくせぇ」とか思ったり。キャンプとか長時間滞在するなら一理あるけど、慣れない山中散策では違和感しかない。とか思いつつ効果が抜群なら...とも思う。
さて、芦間町散策スポット残り2ケ所、パート3(最終話)へ続きます🚴。
おわり。

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