こんばんは。コバエスポットを回避したがるtanayasu99(たなやす)です。
久慈川サイクリングコース終点付近スポット巡り2026年第4弾、常陸太田市東連地町の史跡8ヶ所+αを巡っていきます。今回も1日で巡った話になりますが、記事としては3つに分けて展開していきます。 ということで、常陸太田市東連地町の史跡や神社とかへ、クロスバイクで立ち寄ってみたというお話パート1です🚴。
久慈川サイクリングコース起点から終点
久慈川サイクリングコース起点にて📷。空の青いグラデーション、久慈大橋の新しい赤(手前日立側)と劣化した赤(対岸は東海村側)、緑色の草...基本色っぽい彩りが良い。
久慈川サイクリングコース除草作業で通行止め
久慈川から離れて久慈川水系・山田川左岸で除草作業による通行止めが発生していました。沈石寺付近の東橋から島久橋の間だったかな。
「令和8年9月20日まで」...そんなに?!そんな訳はないと信じたい。

久慈川サイクリングコース終点の成長
コース終点付近に生えている草が順調に成長しているようでしたw。
先ほどの除草作業がここまでくると思うけど...。

さて、本題の東連地町へ向かいます🚴。
馬力神
探索マップではナンバリングされていなかった「馬力神」があるところ。数年前に橋を通過していた時に、桜っぽい木々だなーって見ていたら石碑があることだけは気付いていたところでもある。
草の成長はあれど、このアングルでも「あの突起物は何?」って気になった頃が懐かしい。

前回のコバエ地獄がまぁまぁトラウマなので、遠距離撮影にて📷。

田中愿蔵(げんぞう)生誕の地
ここもナンバリングされていなかった所ですが、解説板が建てられています。
「田中愿蔵(げんぞう)生誕の地」解説板。

| 田中愿蔵(げんぞう)生誕の地 |
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| 愿蔵は、弘化元年(1844年)猿田玄碩(2代目)の5男としてこの地に生まれ、後に、藩医田中家の養子となった。 水戸藩校弘道館、江戸の昌平坂学問所(昌平黌)に学んだ後、18歳の時、郷校野口時雍館(御前山)の館長となる。 元治元年(1864年)3月、藤田小四郎らと共に筑波山で挙兵し、水戸天狗党として、那珂湊、石名坂、助川城などで幕府軍と戦った。 同年10月16日福島県塙町で没する。 東連地町会 |
江戸幕末期に結成された水戸天狗党のメンバー・田中愿蔵氏。道の駅はなわ には没した碑があり、拝見したことがあります。天狗党は、藤田東湖の子息が~とか、各地でなんかひでぇ事やってたな~とか、NHK大河ドラマ「晴天を衝け」で数話でてたな~とか、うっすら記憶があるぐらい。
もとは猿田氏だったのね。
石碑には読める文章が刻まれている。

なんだろうなぁー。田んぼが美しく見えてしまった。

猿田東風頌徳の碑
パッと見て人名なのか何なのか分からないところ。石碑は大きい。
「猿田東風頌徳(さるた とうふう しょうとく)の碑」解説板。

| 猿田東風頌徳(さるた とうふう しょうとく)の碑 |
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| 本名は、猿田只介、明治9年(1876年)に生まれ、漢文、国史、和歌、俳句などに優れ東風と号した。 明治40年(1907年)に私塾弘敞義塾を設立、30年間、子弟の教育に力を尽くし、門下生は2000名に及ぶ。 この碑は大正10年(1921年)、門下生によって建立された。 東連地町会 |
漢文とかに優れていて、要は凄い文化人な感じで、塾を設立してしまうぐらいの実力者。さっきも猿田氏。
さすが、漢文だ...。

近くに馬力神や小石が知的に(?)並べられていていました。

圃場
ナンバリングされていなかったところで、「猿田東風頌徳(さるた とうふう しょうとく)の碑」のほぼ隣にある。
あえて、縛られていたり、なにかしら技術力が垣間見えたような気がしました。...載せるぐらいなので、本当は凄いスポットなんだと思う。
そして、なぜかこの植物が後半に...。
後記
前回の芦間町散策ではコバエスポットが数ヶ所あってトラウマ級でした。今回の東連地町散策でも怪しいスポットから絶対に居るよな!っていうコバエスポットをいくつか想定していました。ノーナンバリングの馬力神周辺も怪しかったけど、深入りしなかったのでゼロコバエで終わりました(最初から遭遇したくないから、深入りしなかったとも)。東連地町散策では、解説板はあるけどナンバリングされていないスポットがあり、カウントがめんどくさかったり。 さて、東連地町散策スポット残り7ケ所+α、パート2へ続きます🚴。
おわり。

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