こんばんは。コバエと和解するぁないtanayasu99(たなやす)です。
久慈川サイクリングコース終点付近スポット巡り2026年第4弾、常陸太田市東連地町の史跡8ヶ所+αを巡っていきます。今回も1日で巡った話になりますが、記事としては3つに分けて展開していきます。 ということで、常陸太田市東連地町の史跡や神社とかへ、クロスバイクで立ち寄ってみたというお話パート3(最終話)です🚴。
六地蔵
嵯峨神社の入り口(案内板)から見えている六地蔵の案内板。またコバエスポットかなー。
「六地蔵」です。何体見えますか?6体ですか?7体ですか?6体ですよね。

「六地蔵」の解説板。

| 六地蔵 |
|---|
| 水府村東連地 繁 六地蔵とは、六道を輪廻転生する衆生の苦患を救うという地蔵のことで、奉納額によると、振分地蔵を中央にはさんで、金剛願地蔵・金剛宝地蔵・金剛悲地蔵・金剛幢地蔵・放光生地蔵・預天賀地蔵のことであるという。 高さ約6、70センチメートルの簡素な感じのする石像である。 昭和のはじめごろ、地元の喜捨(きしゃ)によって、元の土地に堂が建てられ、六地蔵も復帰した。終戦ごろまでは、安産のご利益があるといわれて、婦人たちの間にかなり信仰されていた。 |
センターに鎮座するは「振分地蔵」です。っで、左右に3体ずつ他の地蔵が鎮座している。振分地蔵+六地蔵ですw。ご利益はこんな感じ。
| お地蔵さん | 担当する世界 | ご利益・役割 |
|---|---|---|
| 金剛願地蔵(こんごうがんじぞう) | 地獄道(じごくどう) | 六道の中で最も苦しい地獄道におちた人々を、強い誓願(金剛の願)をもって救い出します。 |
| 金剛宝地蔵(こんごうほうじぞう) | 餓鬼道(がきどう) | 物欲や貪欲さゆえに飢えと渇きに苦しむ餓鬼道の人々に、宝(福徳や法)を与えて救済します。 |
| 金剛悲地蔵(こんごうひじぞう) | 畜生道(ちくしょうどう) | 本能にまかせて互いを傷つけ合う畜生道の人々に、慈悲の心(大悲)をもって救いを差し伸べます。 |
| 金剛幢地蔵(こんごうどうじぞう) | 修羅道(しゅらどう) | 常に争いや怒りに満ちた阿修羅の世界で、仏法の旗じるし(幢)を掲げて戦いを鎮め、平和へ導きます。 |
| 放光生地蔵(ほうこうしょうじぞう) | 人間道(にんげんどう) | 私たちが生きるこの人間界で光を放ち、苦難を取り除いて無事な暮らしや健康を守り、解脱の手助けをします。 |
| 預天賀地蔵(よてんがじぞう) | 天道(てんどう) | 楽園とされる天界であっても避けられない「天人の衰え(苦しみ)」から護り、さらなる高みへ導きます。 |
解説板にもあるとおり、特に生命の誕生を守る「安産・子宝祈願」のお地蔵様として深く親しまれてきた経緯が強そうです。
最後の預天賀地蔵は、天界での出来事のようだが、人間界に必要か?って思わなくもない。
コバエがいないなぁ~って油断していたら、数匹寄ってきたので長居せず、次の目的地へ。
不動尊
六地蔵スポットから道路に出ると、すぐに見える「不動尊(お不動さま)」の案内板。坂を下って良い。
「不動尊」に到着。はいはい、コバエさん、こんにちわ!

「不動尊(お不動さま)」の解説板。

| 不動尊 |
|---|
| 本尊は、全身火災につつまれ、右手に降魔の剣、左手に羂索という鐶(銅)を持ち、忿怒の形相をした石像の不動明王像で、悪魔や煩悩を降伏させるといわれる。創作年代は不詳である。 修験者の守り本尊と仰がれ、修練に格好な幽寂であるこの地に祭祀されている。 祭礼は、旧暦6月27日の宵祭りで、滝名子班内の信仰が続いている。 東連地町会 |
岩の間によく築いたなぁーって思います。

水の流れがあって、コバエさえ居なければ気持ちの良いところです。

コバエを振り切って、最後の目的地へ。
聖徳太子の碑
散策マップにあった「聖徳太子の碑」ですが、現地は河川工事など行われており、示されていた場所には堤防と草地しかなかった。樫の木もそうだったし、見つけられないスポットはあるんだよなーって諦めムードで次の目的地へ向かう。
諦めつつも途中注意深く見ていると、なんかあった!!

これは分からんw。

草に埋もれる「聖徳太子の碑」です。はっきり見えませんが、「和国之教主聖徳太子」って刻まれているように見えます。

向かっている所は青蓮寺です。親鸞聖人の直弟子「二十四輩(にじゅうよんぱい)」の第八番にあたる性証(しょうしょう/俗名:畠山重秀)が開基した、とても由緒ある浄土真宗(本願寺派)の寺院。浄土真宗は、聖徳太子と繋がりが深く、石碑があるのはそのためかなぁと。
青蓮寺(しょうれんじ)
ナンバリングスポット最後の「青蓮寺」の入り口。
南米先住民の教えから、仏教ではこういうことですねって事が書かれています。「少欲知足(しょうよくちそく)」とは、「欲を少なくして、すでに自分が満たされていることに気づき、満足すること」という仏教の教えみたいです。

青蓮寺の本堂。

「青蓮寺」の解説板。

| 青蓮寺 |
|---|
| 東連地町は、天武天皇がまだ親王であったころ、天智9年(670)から2年ほど留まっていた所で、帰還後その殿上に仏像や聖徳太子の像を安置した。その後500年余りを経て、周観上人が皇跡山極楽院瑞巌寺と称し、天台の法流を伝えた。 畠山重忠の第2子重秀は、重忠が殺された元久2年(1205)に出家して、恵空と称した。父の墓を尋ねて常陸国に来たとき、当山の太子堂に泊まって太子の夢を見、お告げに感じて親鸞の弟子となり、法号を性証と改めた。再び訪れたときは、境内が荒れはてていたので、建保6年(1218)に境内を整え、堂宇を建てて浄土真宗の寺とした。その後、ここに住み青蓮の夢を見たことから、青蓮寺と改めたと伝えられている。 木造阿弥陀如来立像(もくぞう あみだにょらい りゅうぞう) 御本尊である本像は、像高53.5センチメートル、鎌倉時代後期の作である。檜材の寄木造で、顔立ち・衣の線も良いが、両手首から先が失われて(現在は後補)おり、どのような形であったかわからないことが残念である。 豊後国二孝女(ぶんごのくに にこうじょ)関係資料 江戸時代後期の文政年間に、現在の大分県臼杵市から約300里(1200km)の道のりを、若い2人の姉妹が病気の父を迎えに来るという二孝女に関係する資料17点が残されている。 市指定文化財 常陸太田市教育委員会 |
畠山重忠とは、大河ドラマ「鎌倉殿13人」で俳優・中川大志さんが演じた武士。武勇と教養に優れ、誠実で誇り高い人柄で、めちゃくちゃ格好良かった記憶があります。その重忠の息子である重秀は、出家し、太子の夢を見て、親鸞の弟子になり、性証上人として過ごしていったという。荒れていた境内を立て直し浄土真宗の寺として再始動!青い蓮の夢を見たから「青蓮寺」と改めたとさ。
ちなみに、「父の墓を尋ねて常陸国に来たとき」とあるけど、茨城県に畠山重忠の墓はありません。たぶん、埼玉県へ向かう道中、遍歴しつつ、この地にも立ち寄ったのだと思う。父親が、鎌倉幕府の謀反人として討ち取られている事もあり、道のりは選べなかった可能性もあるけど。なんにせよ、鎌倉時代に武士の鑑と呼ばれた父親の息子が立ち寄り、開基するに至ったこと
歴史が深い青蓮寺。しかし、不快なコバエが居ない。素晴らしい✨。
二孝女物語でも有名な青蓮寺。江戸時代後期にあった、感動的な親孝行の物語。見方を変えれば「クソ親父が!出先で倒れて迷惑かけて、なにやらかしとんじゃ!滞在費用と看病費用どうするの!」ってなくはない。

ざっくり言えば、こんな感じ。
豊後国臼杵藩(現在の大分県)で暮らしていた、農民の父親は熱心な浄土真宗の門徒だった。親鸞聖人のゆかりの地を巡る旅に出たが、常陸国(茨城県)で持病の足の病気が悪化し動けなくなる。東連地の住職に救われ、お寺で療養しつつ手伝いをしながら過ごしていた。しかし、故郷の家族とは音信不通になる。
※当時、信仰でこのような遠出はまぁまぁあったらしい。
7年後、お寺のネットワークによって、豊後国で帰りを待ち続けた2人の娘らに父親の所在が伝わる。2人は父親を迎えに行こうと決意し、大分を出発。
※約1200kmの距離を女性2人が徒歩でゆく。とんでもないことです。
様々な困難に遭いながらも、道中で出会った人々に助けられながら、出発から2ケ月で青蓮寺に辿り着きます。父親と再会を果たします。
姉妹の孝行心に心を打たれた青蓮寺の周辺住民や、水戸藩主や臼杵藩主までもが感動し、親子が安全に還れるよう旅費や手形を支給するなど全面的なバックアップが行われ、翌年親子3人は無事に故郷・大分へ帰ることができました。
「豊後国二孝女の碑」

敷地内で見かけた彼岸花みたいな花。時期的には(8月上旬では)、彼岸花ではないだろうと思っていましたが、ナツズイセン(夏水仙)らしくヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草とのこと。

これにて、東連地町散策マップの主要スポット全制覇となりました🎉。樫の木はノンナンバリングだからカウントしない。
後記
コバエがヤバかったw。芦間町散策もヤバかったけど、この時期(8月)は雑木林とか入っちゃだめだなぁー。東連地町散策で一番のおすすめは、歴史好きなら青蓮寺です。大河ドラマ「鎌倉殿13人」もういちど見たくなったw。景観の凄みでは、岩にめり込む勢いの不動尊。十郎山から見渡す景色も良かったです。
次回は、コバエ殲滅サイクリングを...めんどくせぇな。シンプルにサイクリングしようw🚴。
おわり。

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