過去の話part17【前編:兼六園と金沢城】石川県旅行していたことを写真で振り返った。

2020年7月19日日曜日

過去の話partXX 写真

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こんばんは。
tanayasu99(たなやす)です。

石川県に旅行してきた(1泊2日)という2015年頃の話。

出掛けたいけど、旅行先が定まらない時に、知人のスポーツイベントを思い出して、応援も込みで石川県に行くことにした(笑)。であれば、日本三大庭園のひとつに数えられる兼六園には立ち寄りたいと考えた。

他の立ち寄り先としては、金沢城、千里浜なぎさドライブウェイなどなど、計画していたんだと思う。撮ってきた写真をベースに振り返ると、1日目は兼六園と金沢城、スポーツイベント観戦。2日目は御菓子城加賀藩、千里浜なぎさドライブウェイ、能登金剛ヤセの断崖などなど立ち寄ったみたい。
金沢城公園2015
(金沢城三御門のひとつ、橋爪門。)

石川県最北端へのドライブを試みたが、さすがに距離がありすぎて、タイムアップしたんだったな。その道中「ヤセの断崖」で終わったという訳です。

また記事を複数に分けてみます。
今のこの記事を見ています→過去の話part17【前編:兼六園と金沢城】石川県旅行していたことを写真で振り返った。
後編:過去の話part18【後編:御菓子城加賀藩と千里浜なぎさドライブウェイなど】石川県旅行していたことを写真で振り返った。

兼六園って広いなぁ!!

歩いていれば、すべて巡れるかなぁ、とか思って、適当に歩き始めたっぽいかな。結果、見落としながら、ほど良く疲弊し、わりと長く居たことで、謎の達成感はありました(笑)。

小立野口から兼六園に入ると

茨城から石川ですからねぇ...それなりに時間がかかりましたね。8時には兼六園の駐車場...コインパーキングだっかな...到着し、少し休んだぐらい。9時には入場...さて何時ごろに出るのでしょうか。
兼六園2015
入った所は小立野口料金所ですね。駐車場から入口(料金所)まで行きやすかった。他には、桂坂口料金所・蓮池門料金所・・随身坂口料金所とあるらしい

山崎山~御室塔

9月中旬ということもあり、やや残暑が残り...というレベルではなく、なかなか暑かった記憶がある。
園内はまだ緑色の葉をもつ木々達で賑わっていた。初めての場所を散策する高揚感とともに、鳥のさえずりが心地よかった。
兼六園2015兼六園2015兼六園2015
【山崎山=やまざきやま】
昔。この付近一帯を「山崎の荘(しょう)」と呼んでいた。また、カエデなどが多いので「紅葉山」ともいわれる。

【御室の塔=おむろのとう】
この五重塔は、京都の御室御所(仁和寺=にんなじ)の塔を模したものといわれ、この名がある。
参考:真言宗御室派 総本山仁和寺
※仁和寺は仁和4年(888)に創建された寺院とのこと。御室桜などが有名。

当時は、良い景色だなぁぐらいしか思ってなかったと思いますが。いつもどおり、ちょいちょい補足していきます。

立派な東屋...ではなく、お亭「自然楽」という。
兼六園2015兼六園2015

鶺鴒島付近でカワセミ発見!!

山崎山を降りたのかな。たぶん、これ...看板が立っているのが見えるので、由緒ある木なのでしょう(笑)。...木の事が書いているとも限らんか。
兼六園2015兼六園2015
こういう所では、超広角レンズが役に立ちますね。広大に写せて良い感じ。

確か、この辺でカワセミを見かけたはず。この時は見れたことに感動し、撮影する気にはならなかった。
兼六園2015兼六園2015兼六園2015

カワセミを目で追い、見えなくなった先にあった巨木を撮る。
兼六園2015

そして、再度カワセミを発見したので、手早く望遠レンズに切り替えて撮影。まともに撮れたのはこれだけ。
兼六園2015

鶺鴒島。もうちょっと撮り方があると思うのですが。。。
兼六園2015

巨なるモノたち

巨木。その名は「根上松」なんだとか。高さ約15メートルの黒松。よく支えられており、より巨木な感じがあります。
兼六園2015
【根上松=ねあがりのまつ】
十三代藩主 前田斉泰(なりやす)(一八二二~一八六六)が、稚松(ちしょう)を高い盛土にお手植えし徐々に土を除いて根をあらわしたものと伝えられる。

おぉ...巨人が居るとか思ったなぁ。日本で最初の西洋式銅像なんだとか。
兼六園2015
【日本武尊の像=やまとたけるのみことのぞう】
明治十年(一八七七)西南の役で戦死した郷土出身の将兵を祀った記念碑である。銅像の身長五・五メートル、台石の高さ六・五メートルで明治十三年(一八八〇)に建てられた。

西南の役は、西郷隆盛が鹿児島に帰ってから、士族ら一緒に挙兵し、政府軍と戦った戦争ですね(この表現が合っているか、ちょっと自信がない)。西南戦争の方が聞き覚えがある。

唐崎松。赤っぽく写っているけど、黒松なんだとか。枝は、霞ヶ池の水面の上を伸びゆくようです。支える方も必至だ。
兼六園2015兼六園2015
【唐崎松=からさきのまつ】
十三代藩主 前田斉泰(なりやす)(一八二二~一八六六)が、琵琶湖の松の名所唐崎から種子を取りよせ育てた。

兼六園といえば、池と灯籠の構図かな

眺望台付近。人が少なくなったところを見計らって撮影。


雁行橋。看板類は撮ったり撮らなかったりですなぁ。看板を撮っても、本体撮ってなかったりとか。


初代姫小松。写真に写っているのは、どうやら2世のようですね。初代は...意識して撮っていないせいか数枚ある中、すべて説明板に阻まれているという(笑)。ほんとは2世のすぐ右側にあります。
兼六園2015
【初代姫小松=しょだいひめこまつ】
推定樹齢五百年を数えていた初代姫小松。その枝ぶりのよさは園内一を誇っていたが、度々の台風による被害により、主幹の一部を残し平成七年の六月に伐採された。左は二世である。

兼六園といえば、よくあるこの風景。右端に写るは、徽軫灯籠。
兼六園2015
【徽軫灯籠と虹橋=ことじとうろう と にじはし】
この灯籠は琴の糸を支える琴柱の形をしていることから、徽軫灯籠と呼ばれている。手前の橋は虹橋。別名を琴橋ともいう。この巧みな意匠が兼六園を象徴している。

...うまーく、虹橋を写らないように撮ったのかなぁ。...向きが全然違うみたい。

時雨亭で一服なり

噴水。そのまんまですね。
兼六園2015
【噴水=ふんすい】
この噴水は、霞ヶ池を水源としており水面との落差で、高さ約三・五メートルにまで吹き上がっている。日本庭園では、大変珍しく、十九世紀中頃につくられた日本最古のものといわれている。

時雨亭(しぐれてい)にて一服。2015年頃の旅行写真なので、値段変わっているかも。
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【時雨亭=しぐれてい】
延宝四年(一六七六)加賀藩五代藩主 前田綱紀(つなのり)は、兼六園の前身である蓮地庭の作庭に取りかかった。その庭の中心的な建物として建てられた蓮地御亭(れんちおちん)は、その後六代藩主 吉徳(よしのり)によって建て替えられているが、藩政後期には、時雨亭とも呼ばれていた。明治のはじめに取り壊されるまでは、今の噴水の前にあったが、平成十二年三月、この地に再現させたものである。

ガラス越しにみる庭園。
兼六園2015兼六園2015

茶菓子と茶。一眼レフカメラの写真がブレブレだったので、ここだけスマホの写真。
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みんな食べたり、飲むの早くね?とか思ったなぁ。

茶を飲まずして入れない所だろうと思い、いろいろ見たがる。
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霞ヶ池の周辺にて

ところ変わり、「霞が池」にて。曇り空だった天気から、日差しが出てきて、いよいよ暑くなってきた。
兼六園2015兼六園2015兼六園2015
【霞ヶ池=かすみがいけ】
天保八年(一八三七)に掘りひろげられた池で、広さは五八〇〇平方メートル。池の中の島は、蓬莱島(ほうらいしま)といい、不老長寿をあらわしており、また亀の甲の形をしているので、別名、亀甲島ともいう。

栄螺山(さざえやま)にて休憩所か。ちょっとだけ、見晴らしが良い。栄螺山から霞ヶ池を望む。
兼六園2015兼六園2015兼六園2015兼六園2015
【栄螺山=さざえやま】
霞ヶ池を掘りひろげたときの土で盛りあげたもの。登り路が螺旋に作ってあり、その形がさざえに似ているので、栄螺山と名づけられた。山頂に、からかさ型の避雨亭(ひうてい)があるので別名「からかさ山」ともいう。

単なる休憩所ではなく、避雨亭という名のある...お亭(おちん)とのこと。この辺に三重塔が...ぁぁなんで、こんな写真しか残していないのか。

夕顔亭。古風な建物に、ついカメラを向けてしまう。
兼六園2015兼六園2015
【夕顔亭=ゆうがおてい】
安永三年(一七七四年)に建てられた茶室。袖壁に夕顔(瓢箪(ひょうたん)の古語)の透彫り(すかしぼり)があるので、夕顔亭という。本席は三畳台目(さんじうだいめ)で相伴畳(しょうばんたたみ)を構えた大名茶室。藩改時代は「滝見の御亭(たきみのおちん)」とも呼ばれていた。

見慣れない「三畳台目」や「相伴畳」は茶室の建築図的な物を検索して見ると分かるかも...ざっくり、茶室のメインとなる部分と同伴者が待つ所ってこと?

「藩改時代」も聞き慣れないので調べたら、前田利常(第3代加賀藩主)が実施した農政改革時代のことかなぁ。

夕顔亭の中に入って確認しなかった夕顔(瓢箪)の透かし彫り。今、ネットで検索して確認できた(笑)。なるほどね、次回はこれを抑えれば、また散策レベルが上がりそう?

兼六園ありがとう

三芳庵別荘と瓢箪池。池に突き出たテラスのような空間も素敵ですね。
兼六園2015兼六園2015

海石塔(かいせきとう)。瓢池の中島に建つ、高さ4.1mの塔。調べてみると、これにまつわる話があり、なかなか面白かった。
兼六園2015
隣には、綺麗な枝垂れ桜が咲くんだとか。

蓮地門出口。ここから出たみたい。11時頃出たみたいなので、2時間ぐらい散策していたみたい。隅々まで巡る計画はしてないので、見逃したところは多かったと思う。
兼六園2015兼六園2015

公式ホームページにあるとおり、「堪能コース」に少し加えた内容であれば、写真撮りながら休憩入れつつでも3~4時間ぐらいで巡れるかなぁと、今ならやりたい気がする。
参考:兼六園>園内マップ>散策マップ

休憩しつつ、今後の作戦会議中。兼六園を出て、金沢城に入るので、散策時間と次の移動先までの時間とか考えていたんだろうな。
兼六園2015

金沢城へ

金沢城といえば加賀藩。加賀藩と言えば加賀百万石...前田利家のイメージがあるけど、詳細はよく分かっていない。NHK大河ドラマ「利家とまつ 加賀百万石物語」(2002年)は、わりと好きだったけど、もう全然内容覚えていない(笑)。まつの「お任させ下さい!」が凄かったなぁぐらい。のちのドラマや歴史小説、漫画などで、どんな人だったか、かろうじて記憶を繋ぎとめている感じです。

しかし、金沢城に前田利家?いたっけ?という違和感があるんですよね。秀吉の従臣として大阪城に居た時間が長かったからかなぁ。

金沢城 石川門。城としては搦手門(からめてもん)に相当するそうです。裏口、脱出口みたいなもんですね。石川郡という地名のある方向へ向いているので、そう名付けられているそうです。
金沢城公園2015金沢城公園2015金沢城公園2015
左に見えるのは、石川櫓。よく見ると狭間や石落とししそう。

ん?これは石川門を下から撮ったのか。なにか潜んでいる気がしたのかもしれない。
金沢城公園2015

2つの門をこうして撮る。さすが超広角(笑)。どうやらこの領域・枡の形をした桝形門、総称して石川門という。外側から高麗門の一の門、櫓門の二の門となり、続櫓と2層2階建ての石川櫓が組まれている。
金沢城公園2015
この石川門と河北門、橋爪門を総称して、「金沢城三御門」と呼ばれているそうです。

そこまで気付いて巡っていないですけどね。

桝形門の石川門を通り抜けると、広大な敷地に少しだけ感動した。手前の緑色が生える敷地は「三の丸広場」、奥に見える横長に白い建造物は「五十間長屋」です。
金沢城公園2015

河北門(かほくもん)二の門。外側から歩いて行く感じです。
金沢城公園2015金沢城公園2015

新丸広場の一角にある調整池。または湿生園。なんかいるなぁ白鳥ではなく、サギ。小魚を狙って苦戦しているのか、首を右へ左へと奇妙な動きをしながら移動していました。
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新丸広場を通り抜け、黒門(西丁口門)跡を通り、城の外へ出たようだ。大手堀沿いにある歩道を歩いて、大手門へ向かう。
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江戸時代には西丁門(にしちょうもん)といわれ、明治時代には黒門と呼ばれたそうな。お城が出来た当初は、ここが大手門だったんだとか(築城者:佐久間盛政=さくまもりまさ)。前田利家が入場した後、尾坂口(おざかぐち)にあった尾坂門が大手門に改められたそうな。

改められた後の大手門跡。石垣が古風な感じ。ここまで立派そうな作りになっているものの、「櫓台」の表記までしか確認できておらず、櫓台の上に櫓が建築されていたかは分からないそうだ。...櫓台があれば櫓があるもんじゃないんだな。屋根付きの門だったのだろうと。
金沢城公園2015

新丸広場に戻ってきた。
金沢城公園2015

土橋門跡。「北の丸」と「三の丸」をつなぐ土橋に面して設けられたことから「土橋門」といわれていたそうな。
金沢城公園2015
残念ながら片側しか撮影しなかったようだ。反対側の石垣には、六角形の石(亀甲石)が嵌め込まれている。水に親しむ亀を表しており、防火の願いが込められているんだとか。
「北の丸」は、「藤右衛門丸広場」「尾崎神社」あたりを、「三の丸」は先ほどの広大な敷地。

旧第六旅団司令部。明治31年に建てられたんだとか。陸軍本省が各師団建物の設計したもので、全国に似たような建物があるようです。どこかに一覧化していると、また面白そうです。
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床下の痛風口ですかね...星型という珍しい形をしています。魔除けかなぁ?

玉泉院丸庭園(ぎゃくせんいんまるていえん)。
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赤っぽく見える石垣は、色紙短冊積石垣(しきしたんざくづみいしがき)と呼ばれている。石垣の上部には滝が組み込まれているそうです。

玉泉院丸庭園を出て、二の丸へ向かう坂を登る。松坂門跡。そして、二の丸広場に辿り着く。見えているのは、「五十間長屋」ですかね。
金沢城公園2015金沢城公園2015

二の丸広場から極楽橋を渡って、三十間長屋の前あたり。白い彼岸花と櫓。この時は、白い彼岸花が珍しく見えたんですけどね。なんか黄色く見えるような。。。
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三十間長屋です。中に入ると、仕切りが無いので、その長さというか奥行きに驚きます。
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さて次は五十間長屋ですかね。
金沢城公園2015

いきなり五十間長屋に入っちゃいている写真から。石落としかな。ガラス張りだ...。
金沢城公園2015

3階の狭間から外を見る。
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あんまり中の写真無かったなぁ。三十間長屋より広いだけってことだったのかなぁ。たしか、建築の技法を紹介していたような気がする。上手くハマっている木を取ってしまうと総崩れするとかね...もちろん取れないようになっているけど。

二の丸の正門として配する橋爪門。高麗門形式の「一の門」、石垣と二重塀で囲われた「枡形」、櫓門形式の「二の門」からなる、城内最大規模の桝形門とのこと。この木造に黒い鉄板が鋲止めされているのが良いんだとか、通りすがりの人が熱く語っていたなぁ。
金沢城公園2015

橋爪橋と橋爪門。映画やドラマで見た気がしますねー。なんだったかなぁ...登城するシーンで見たような。。。
金沢城公園2015

はい。三の丸広場まで戻ってきたようです。体力的にも時間的にも限界だったかな。
金沢城公園2015金沢城公園2015
既に13時頃で、次の目的地へ向かう時間ギリギリだったぽい。

南東の部分が行けなかったようです。2時間でこの進み具合とは...撮りながらとはいえ、のんびりし過ぎたかな。とはいえ、たいして撮ってもいないんだけどなぁ...なぜだ(笑)。
金沢城公園2015

宿の飯

スポーツ観戦してから、柴山潟(しばやまがた)沿いに予約しておいた宿へ。

お宿で夕飯!


後記

また、兼六園や金沢城へ行くことがあれば、今度こそ隅々まで散策したい。しかし、カワセミが飛んで来たら、奴が去るまで撮り続けそうな気がする(笑)。

スポーツ観戦も楽しかったなぁ。ちょっと、どう書き表したら良いか、悩んだので割愛!!しましたm(__)m。

おわり。
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どうも、水戸近辺在住のtanayasu99(たなやす)です。ブログタイトルを変えて再出発な2024年となります。ブログの内容をクロスバイクやサイクリング、その他雑記、気になった商品の備忘録で続けていこうかと頑張ってみます。よろしくお願いします。

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