こんばんは。日立市の坂道尊敬しているtanayasu99(たなやす)です。
御岩神社ルート(【漫遊ライド2024】日立パワースポットライド)を提示してる「サイクリング茨城」とか、坂道すごいよね?頭おかしいのかな?って思ってしまいます🤣。十王ダムへ行かせるルートもおかしくね?自転車で登り続けられる人そんなに居るの??...まぁまぁいらっしゃるようで尊敬します✨(頭おかしい即前言撤回w)
それでも日立市らしさを味わいつつ、走り切れそうなルートを策定しました。あの竈門少年も一目置くかもしれない割れた石と、6つの鹿島神社をクロスバイクで巡ってみたというお話🚴。
サイクリングしながら、割られた石と何かを巡る
鬼滅の刃が人気を博し、なぜか日立市にもその波は押し寄せていたようです。鬼滅の刃で竈門炭次郎が大岩を真っ二つに斬るシーンにならってか、全国各地にある割れた石が注目されました。日立市の竪破山(たつわれさん)にある「太刀割石(たちわりいし)」も多くの人に知ることとなりました。太刀割石はサイクリングで巡れるところじゃないんだよなーって、自転車基準で考えてあっけなく頭から消えました。数年後「なんか小さめな石だったらあったりするんじゃないの?」と思いついて調べたところ、いくつかありました。というのが、今回のサイクリングルート策定のおおまかな動機です。

折笠スポーツ広場と南高野鹿島神社の間で、目的というかテーマを持って巡れる所はないかと考えたけど、あんまり良い案は思い浮かばず。安直ではあるが、鹿島神社巡りをやってみることにしました🌀。
走行距離27.4km、登り獲得標高328mの比較的なま優しいサイクリングルートです。(いつも平坦ばかり走っている自分からすれば、けっこうしんどかったですが。)
日立市内で平坦ルートというのは南部にしか存在しないか、短い距離を走るしかないんじゃないかと思うぐらい、坂道が多い印象です。坂道苦手を強制的に克服するには良いところなのかもしれません。
折笠スポーツ広場にある「矢筈の石」
今回のスタート地点とした「折笠スポーツ広場」には、「矢筈の石」という割れた石があります。
正面から見るとこんな感じ。ただの大きめな石にしか見えませんね。

真横から見ると割れているのがよく分かります。

説明板「矢筈の石」伝説の由来。

| 「矢筈の石」伝説の由来 |
|---|
| 大津 文男氏 寄贈 平安時代後期の武将源義家(八幡太郎)が奥州征伐の途中この地に立ち寄り、この石をめがけて矢を射ったところ、見事に的中して真っ二つに割れ、その形から「弓弦の石」(ゆづる)といわれていた。また、この石で弓を張り雁を射落としたとの説もある。 その後、この石が弓の弦にかける矢筈の形に似ているところから、「矢筈の石」といわれるようになったとも伝えられている。 なお、「矢筈の石」は、当スポーツ広場敷地内の大津氏所有の水田にあったものです。 日立市教育委員会 |
「矢筈の石」八幡太郎義家の伝説でした。
いつだかは「長者屋敷でとても世話になったにもかかわらず、殲滅してしまう外道にしか思えない伝説」に触れたことがありました。どうせなら長者屋敷の御仁が実は妖怪だったとか悪者だったので成敗した!ぐらいの美談だったら良かったのに、「栄えている豪族を放置するのは後々敵対し災いになるかもしれない」という理由で滅ぼすという😨。それも危機管理能力なの??
っで、今回は「奥州征伐に荒ぶる力が抑えきれず、豪快さを見せつける伝説」とまぁ、よくある「イキった系伝説」でしたw。よくありすぎて、当時としてはコレも情報戦略の一環だったのだろうかと。
八幡「奥州許すまじ...おりゃぁ!!🤬」
石(後の矢筈石)「あああああああ!😭」
奥州「え?そんなやべぇヤツが俺たちの敵なの?マジで勘弁してほしいわ~😨」
もしかしたら、折笠に滅ぼしておく程の豪族がいなくて、ヒマすぎて放った一撃だったのかもしれません。そう「ただの退屈凌ぎ」なんですよ。
佛ヶ浜
スタート地点から5.1kmあたり。
最近、開通したっぽい道路(中所沢川尻線)を横切り、国道6号を走るという王道なルート。
「佛ヶ浜」到着。目立つようで目立たない控えめな「石柱」です。

進軍してゆくと、平坦ルートと登坂ルートの分岐点に辿り着く。

分岐点にある石碑。ほとんど読み取れないけど、?是度志観音?(庚申塔?)っぽい。この先の道しるべ的な石碑だろうか。

平坦ルートからの石段を上がってゆくと...。

「史跡 佛ヶ浜」「指定 茨城県教育委員会」の石柱。

説明板。

| 史跡 仏ヶ浜 by日立警察&日立市教育委員会 |
|---|
| 史跡 仏ヶ浜は茨城県指定の文化財です。みんなで保存保護につとめましょう。 この史跡をこわしたり、境内の物を盗んだりすると処罰されます。 日立警察署 日立市教育委員会 |
別の説明板「史跡 仏ヶ浜」

| 史跡 仏ヶ浜 by日立市教育委員会 |
|---|
| この史跡は昭和30年6月25日付で茨城県指定文化財史跡第8号に指定されております。 指定になった理由は、常陸国風土記に「国宰川原宿袮黒麻呂時 大海之辺石壁彫造観世音菩薩像 今在笑 困号仏浜」(くにのみこと もち かわはら すくね くろまろのとき たいかいの ほとりの いしかべに かんぜおんぼさつの ぞうをほり つくりき いまにありと よって ほとけがはまという)と記されているので、その仏浜とはこの地であろうと推測され指定になりました。 むかしこの地には、弘法大師により開基されたと伝えられる度志観音堂があり非常に繫栄した遺跡です。 日立市教育委員会 |
度志観音堂。厳重に金属っぽい格子で囲われています。不気味に感じたので近づくことすらしませんでした。

左には壁面を削り、安置された仏像などが見えました。

右にもなんか安置されていた。

うっそうとしているけど、静かなところでした。

助川にある鹿島神社
スタート地点から9.9kmあたり。
日立市助川町にある鹿島神社。

なにやら改修工事中っぽい。



樹齢約300年の「強心の銀杏」は男性必見かも?

| 強心の銀杏 樹齢約300年 |
|---|
| 子宝に恵まれない男性が参拝の度に幹に触れ 祈願したところ無事に子宝に恵まれた逸話のある この雄銀杏は昭和20年7月の日立艦砲射撃を乗り越え幾度の災害にも耐え抜いた強い生命力と心穏やかな笑福の神木とされています どうぞ幹に触れて強心の力を頂いて下さい |
夫婦杉とか夫婦〇〇系の樹木や石で男性も触った方が良いっていうのはよく見かけますが、特に男性特化は...あるなwあるあるw。男性性器に似てる系がそうでしたね。
会瀬にある鹿島神社
スタート地点から11.5kmあたり。
日立市会瀬町にある鹿島神社。

意図せず裏参道から。

赤い鳥居が連続している列が2つあります。

左の鳥居の先はこんな感じ。

「大山阿夫利神...」石碑。どうやら「大山阿夫利神社」とのこと。

右の鳥居の先はこんな感じ。さらにその右側には...。

「正一位祝崎稲荷大明神」と刻まれた石碑。

後方には「一金壹百圓」石碑。なんらかの金額が「100円」だったことを意味するらしい。「大正13年」とも刻まれており、現在の貨幣価値に換算すると約25万円~50万円以上みたい。

赤い祠と小さな集合体。

赤い鳥居の横にあったのは「茨城県無形文化財 会瀬ささら収蔵庫」とのこと。

説明板「茨城県指定無形民俗文化財 第14号 日立のささら(会瀬佐々羅)」。もっとも威勢がよく勇壮活発な獅子舞だそうです。

| 日立のささら(会瀬佐々羅) |
|---|
| 会瀬ささらは、鹿島神社の祭礼に際し、五穀豊穣と地区内の安全を祈願して、渡御(とぎょ)行列に供奉(ぐぶ)し、露払いの役目をつとめてきました。 近世からは、神峰神社の大祭典のときに、宮田、助川のささらとともに浜降り行列の露払いもつとめています。 構成は、腹に太鼓を括りつけた獅子が三頭、まわりで囃したてるしゃぐまが3人です。このほかに笛、警護などの役がつきます。関東一円に伝わる風流系の1人立ち3匹獅子舞のひとつです。 会瀬ささらの特徴は、しゃぐまが頭にかぶる特異な形をした笠です。金銀の色紙を貼った笠の先には、獅子頭と同じ黒い鳥の羽が飾りつけられています。肩に担う豆太鼓には、天狗かおかめが描かれ、裏には会瀬と記されています。 会瀬ささらは、日立地方のささらの中でもっとも威勢がよく、勇壮活発な獅子舞です。 日立市教育委員会 茨城県指定無形民俗文化財 第14号 指定年月日 昭和38年8月23日 保持団体 日立郷土芸能保存会(会瀬佐々羅保存会) |
元禄8年(1695年)に水戸藩第2代藩主・徳川光圀(水戸黄門)の命によって始まったとも言われているようです。
| 日立市 会瀬ささら まとめ | |
|---|---|
| 特徴 | 親獅子、中獅子、雌獅子の三匹で構成され、笛や太鼓に合わせて激しく、勇壮に舞うのが特徴です。 |
| 奉納 | 毎年4月1日の例大祭で奉納されます。 |
| 歴史 | 江戸時代、水戸藩主がこの地を訪れた際に披露されたとも伝えられており、地域の誇りとして大切に守られています。 |
復興収蔵庫。

手水舎、絵馬とか。

本殿と拝殿。


鳥居からは、海が見える。

実は電車も見られますが、タイミング悪くて、写真におさめることは出来ませんでした。

表参道か。

成沢鹿島神社
スタート地点から12.7kmあたり。
今回はサイコンのナビとスマホのGoogleMapによるナビを併用したのですが、こんな感じの狭いルートが多かったです。

極めつけはコレw。登坂かつ人ひとり分しかないルートw。マジかーーーって内心叫びながら細心の注意力で進みました。

成沢鹿島神社、到着👍。左側には石柱「成澤 鹿嶋神社」とのこと。今回の鹿島神社巡りで唯一、石柱に地名入りで刻まれている鹿島神社である。

「村社 鹿嶋神社」、よく見かけるのはこの表記ですね。「しま」には「島」と「嶋」が混在しています。

「鹿嶋神社の由緒沿革」の碑。

ここにもささら。説明板「茨城県指定無形民俗文化財 第14号 日立のささら(成沢佐々羅)」。会瀬のコピペかなーって思ったけど微妙に違います。

| 日立のささら(成沢佐々羅) |
|---|
| 成沢ささらは、鹿島神社の祭礼の渡御(とぎょ)行列に、露払いとして供奉(ぐぶ)する獅子舞です。渡御行列は、1日かけて成沢地区内を練り歩き、五穀豊穣と安全を祈願します。 昭和12年(1937年)4月の大祭以来、途絶えていましたが、関係者の熱意によって昭和41年(1966年)4月、29年ぶりに復活しました。 獅子は、腹に太鼓を括りつけた雄獅子2頭、雌獅子1頭の3頭です。獅子のまわりで囃したてる3人のしゃぐまは、女装した童子で豆太鼓と錫を持っています。このほかに笛や警護などの役がつきます。 この獅子舞は、関東一円に伝えられている風流系の1人立ち3匹獅子舞のひとつです。 日立地方のささらは、隣接する7つの集落(旧村)に伝えられていることと、それを舞う役が子供たちであることに特色があります。 日立市教育委員会 茨城県指定無形民俗文化財 第14号 指定年月日 昭和46年7月19日 保持団体 日立郷土芸能保存会(成沢郷土芸能保存会) |
途絶からの復活。熱意は完全に消えない。今の時代、いろんな形で残すことが出来るけど、実際に感じ取る術に勝るものはないと思う。
| 日立市 成沢ささら まとめ | |
|---|---|
| 特徴 | 基本的な構成は他と同じですが、成沢の舞は古風で素朴な味わいがあると言われています。 |
| 奉納 | 毎年4月1日の例大祭で奉納されます。 |
| 地理的背景 | 近くにある「水漏舎跡」など、地域の教育や文化が根付いた土地柄を反映した、格式高い雰囲気を持っています。 |
大河ドラマ「青天を衝け」でも渋沢栄一少年が獅子舞やってたのを思い出しました。今は娯楽が多すぎて逆に集うのが億劫になる程ですが、当時はみんなが集まり楽しくやっていたのだろうと思うと、それも悪くないよなーとか思ったり。お祭り準備もストレスになりやすいようなので、無理なく継続できれば良いんじゃないでしょうか。
日立のささらは7つあるようなので、それらを巡るのも面白いかなーとか思ったり。2026年5月3日、4日、5日には「日立風流物」として、ささらが特別公開されます。
「成澤 鹿島神社」と「成澤鹿島神社御鎮座1200年記念碑」。最古の鹿島神社とか気になりますね。

「鹿嶋神社造營記念碑」、「營」は「営」の旧字体。

手水舎。...水受け(水盤)が白い!!まさかの寒水石ですか!?よく分からないけどテンション上がったw。

なんか家庭的に感じるのはキッチンみたいな形状w。これ石だよね?こんなに精巧にくり抜けるものなの?みたいな驚きもあったり。

拝殿。

シダレザクラ。八重桜っぽい。

「日立市合併記念 昭和30年2月15日 鹿島神社なんとか所」。これも寒水石っぽい。

池の川弁天池公園(水漏舎跡)
成沢鹿島神社から坂を下り数十メートルあたりのところに「池の川弁天池公園」があります。
うっそうとしてそうな雰囲気しか感じ取れませんでしたが。

祠...弁天さまですかね。

水質は良くなさそうに見える。異臭がしなかったのが不思議なぐらい。

水の流れが無いように見える。

下流側なのか、別水源なのか、なんか透けて見える水が流れていました。

とはいえ、流れゆく方向はこんな感じ。石の階段で下れるようですが、この川というか水路で何かしたいとは思わないのだが?

時代を感じさせる「中成沢町二丁目24」と巨木。昼でも夜でも、何かのワンシーンで映えそうな気がした。

「池の川弁天池公園 開園記念植樹」とのこと。

新緑広がるそれはほとんどヤマモミジだった。なんか石碑があります。

「成沢教育発祥の地 水漏舎小学校跡」、まさかこの広場が小学校??

「史跡 水漏舎小学校跡」の説明。

| 史跡 水漏舎小学校跡 |
|---|
| 明治5年(1872)、政府の公布した学制によって、翌6年7月成沢村に水漏舎小学校が開設された。まもなく成沢小学校と改称され、同10年油縄子小学校と合併するまで、この場所にあった神官で教師となった瀬谷登之助の住宅の大広間を教場としていた。その住宅は戦後日立市の水道施設ができるまで存在した。施設撤去後この地を近代教育発祥の地として、日立市は地元有志と協力、顕彰保存することになったものである。 因みに水漏舎の名称は、傍らの弁天池の地下から漏れ出る湧水が昼夜をおかず流れる姿にあやかり、学問に励むことを願って付けられたものである。 平成19年1月吉日 撰文 茨城大学名誉教授 日立市名誉市民 瀬谷義彦 |
江戸時代が終わり、まだ旧時代の名残りがありそうな明治5年のお話でした。江戸時代は主に寺子屋と呼ばれ、庶民が読み・書き・そろばんを学んでいました。明治時代になると「学制」が施行され、寺子屋などを母体として公立「小学校」へと移行・制度化されていったみたい。
当時の面影を表現したオブジェ。茅葺屋根っぽい建物が印象的です。住宅の大広間を使って教えていた頃の学校兼家でしょうか。

ひと気はなく、遠すぎない昔へ引き込まれるような不思議な空間でした。溜まった水源に違和感を感じつつも、流れる透きとおる水に癒され、看板や街頭、広場へ辿り着く。終始感じていた雰囲気は、ここの明治時代だったのかもしれません。
大久保にある鹿島神社
スタート地点から17.4kmあたり。
大久保にある鹿島神社。神玉(かみたま)巡拝のひとつです。8か所もあり、費用もかかるのでかなりの気合がないとやりそうにないのですが。

石柱には「郷社 鹿嶋神社」とのこと。久しぶりにみたなぁ「郷社」...。

参道には「戦捷紀念」(せんしょう)があり...漢文すぎて解読できない。唯一「曠古之大戦」が「昔から前例のないほど珍しかった(未曾有の事態)大戦」だったことぐらい。たぶん日露戦争の勝利を記念し建立された石碑かと。

次の石碑は、鹿嶋大神宮勧請(かんじょう)創立を記念、天然記念物銀杏の擁壁、参道の改修などなどなどなど、神社に関連することがらを記念した「記念碑」でした。

| 記念碑(大久保にある鹿島神社の参道に奉建されている) |
|---|
| 當鹿嶋神社は、文武天皇大宝元年4月7日 鹿嶋大神勧請創立を記念 茨城県指定天然記念物 駒繁公孫樹銀杏の擁壁 参道敷石荒廃これを改修 歴史と伝統を偲び 八幡神社の修復 境内の老杉古損木の保全植樹等の環境整備に鑑み これが神社護持的使命であり 尊厳と郷土の繁栄を祈念 之を永世に伝ふ 昭和53年4月7日奉建 |
たぶんアレが銀杏。(実は今これ往復しているwしかし異なる方向から観察出来て満足しているw)

「八坂大神」「保食命」「大山祇命」の石碑。

もっとちゃんと多くの支柱で支えないとダメな気がするけど。。。

説明板「駒つなぎのイチョウ」。なんだか、いろんな時代で奥州征伐が発生してる気がする。

| 駒つなぎのイチョウ |
|---|
| このイチョウは昭和44年12月1日付で茨城県指定文化財天然記念物第48号で指定されております。 駒つなぎのイチョウといわれる理由は、坂上田村麻呂が、奥州の蝦夷を征伐に行くときこの鹿島神社に戦勝を祈願し、その際このイチョウの木に駒をつないだという伝説からの名称です。イチョウは雌雄別株になっていますが、このイチョウは雄株で実は付けません。 幹囲は目通り5.5メートル、樹高約20メートルあり、樹齢は推定550年といわれております。 日立市教育委員会 |
手水舎。

拝殿。大きな扁額には「鹿島大神宮」とのこと。鹿島神社ではなくなった?

御神輿庫。扉が人の顔に見えて、夕暮れ時の薄暗さもあり不気味に感じた。

交通神社。

それっぽい御祭神。道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)といって、帯から生まれた神様。

他にも神様たちが鎮座、忠魂碑、〇がありましたとさ。



山側道路金沢地点の道路工事
2つの石と6つの鹿島神社を巡るサイクリング紀行もいよいよ終盤戦。迫りくるクルマと共存する国道6号を走り抜くか、急斜度を山側道路を登り抜くか、悩ましい選択肢...時間もないのでスムーズさで山側道路を行きました。アップダウンなルートを走ってきてるけど、余力に不安がありました。けど、足も付きたくないし登り切りたい。だって、去年か一昨年は登りきってるんだよなーって前回の自分に完敗したくない。
愛宕山城跡のふもとを通過し、本格的な登りへ突入。

斜度が緩やかになっても回復が...。次の急斜度まで回復させたい。

ここでの足つきはヨシとするw。地味に登ってて回復しねー。

無事登り切り、山側道路へ突入。途中からでもそれなりにアップダウンしてるんだよなーって変わらず苦しい。

常陸太田市~日立市の交通を爆速にするための新道路建設中。いわゆる日立市側の金沢地点。文字通り山を切り開いたなって感じです。休憩地点としても気に入っていたんですがね。
6630
交通量が多すぎるので歩道へ退避中。そして山側道路終了です。なんとか持ちこたえました。

南高野にある鹿島神社と八幡太郎手割り石
スタート地点から25kmあたり。登り獲得標高は約90メートル追加、最高勾配は7.9%→9.5%へ記録更新で疲労困憊w。
なぜか道に迷いつつ到着。南高野にある鹿島神社です。

日立市指定歴史資料第1号。説明板「藤田東湖揮毫南高野鹿島神社 大幟」(ふじた とうこ きごう みなみこうや かしまじんじゃ おおのぼり)。

2つ目の割られた石「八幡太郎手割りの石」...ちょっと小さめです。

説明板「八幡太郎手割りの石」。手割りというけど手刀ではなく、大刀を使ったとのこと。どちらにせよ化け物じみた破壊力と精密さがうかがえます。

| 「八幡太郎手割りの石」 |
|---|
| 昔、南高野村字宿地内の旧街道の道傍に饅頭型の大きな石が道路の両側に相向かって据えられてあった。これが世にいう「八幡太郎手割りの石」である。 八幡太郎義家が奥州征伐に向かうおり、道路をふさぐ邪魔な石を大刀をもって3つに切ったという伝説が残されている。3つに切った中の石は、この地を流れる瀬上川の用水路の落ち水うけに使われたと伝える。 昭和52年頃都市計画道路新設(一本松通り)による拡幅工事のため一時移動されていたが、平成15年10月5日南高野字家後地内の鹿島神社境内に移設した。 平成15年10月5日 鹿島神社氏子 南高野町内会 |
八幡太郎義家の豪快さ精巧さが伝わる2スポットでした。極悪非道さを邪推する余地がなくて(?)、良かったと思いますw。
あれ?3つに切った石のひとつがコレ?さらに真っ二つになっているんだけど...。さて1つの大きな饅頭岩は、斬られていくつになったでしょうか。
大和田にある鹿島神社
スタート地点から27.4kmあたり。今回のサイクリング紀行、最終地点です。よく頑張った。
大和田にある鹿島神社。巨木が気になる。


なんじゃこりゃ。

生命力あふれてる。

拝殿。

右側だけ、道というかコンクリートというか、なんか続いている。

まさかの...なんていうの?この構成。

慰霊之碑と坂本小学校跡
大和田の鹿島神社から近いところにある慰霊碑。GoogleMapで見た時から気になっていた慰霊之碑。道路からも立派な石碑が見えたこともあり立ち寄ってみた。
慰霊碑の横に設置されていた「坂本小学校跡」の碑。まさかの小学校跡地へ立ち寄りその2。それっぽい建物はありません。

後日ネットで調べてみると、木造校舎であったことと、移転後しばらく大橋地域公民館として使われていたという記事を数件ほど見ることが出来ました。一部の地図サイトでも公民館だった名残りを確認しました。
それならばと思い、GoogleEarthで上空から見てみました。手前が校舎で、階段の先(高台)の方が校庭だったようです。

また賑やかな時代がくると良いですね。
後記
スタート地点とした折笠スポーツ広場までのウォーミングアップが過去いち長くて、実はもう疲弊していました🥵。折笠から大和田までのルートだけなら28km弱ぐらい、獲得標高300mちょっとですが、結果70kmぐらい走ってて、獲得標高700m、平均速度が14.7km/hという、超のんびりポタリングでした。消費カロリーは2600Kcalでして、そりゃぁ疲れる訳だと😥。さて、これを機に日立市内の伝承を巡っていくのも面白そうです。八幡太郎義家でシリーズ化できれば良いんですが、まだまだよく分かりません。
おわり。

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