tanayasu99(たなやす)です。
前回の記事(クロスバイクでグリーンふるさとライン通行止めまで行ってみた)の続きです。
既に目的は達成し、今ある体力の限界を迎えた後、固着させたら行けないと思い、マッタリ町屋町を散策することにしました。
休憩のちマッタリ町屋町を散策
玉簾の滝...玉簾まんじゅうを食べに行く体力は...ないなぁと考えつつ、堤防補修工事は終わったみたいだ...工事車両も1台も無い...しかし去年被災し出来なかった祭り(行灯(あかり)の赤レンガと銀杏まつり)、今年は新型コロナでまた出来ないのだろうか...哀愁しか汲み取れない。「旧町屋変電所」のベンチに座り込み...ダメだ...眠くはないけど、妙にしっくりこない...。試しに20分ぐらい横になった。
じっとしていても固着するだけのような気がしたので、立ち寄りながら撤退ルートを走ることにした。立ち寄り所は、旧町屋変電所付近の案内板にあった「河内地区散策マップ」を参考にした。(なんだかんだ走れるんだよなぁ...。)
龍城根本翁彰功碑(りゅうじょう ねもと おうしょう こうひ)
交番の手前にある道から入って行くのか...分かりやすそうだな。と思っていたのだが、坂道だったうえに、分岐点で看板が見えず、国道349号線をまたぐ橋の上まで行ってしまった。その橋の名は、「上ノ台橋」...確かに「上」ですね。車などで国道349号線を走っている時に気になっていた所でした。車で行く気にはならない狭さだったので、偶然とはいえ自転車で行くことが出来て良かった。
となると、気になる分岐点は...心当たりのある所をよく観察する。これは分からん(笑)。紫陽花が綺麗に咲いていたのだろうが、歴史への案内は閉ざされた。紫陽花も捨てがたいので、案内板の位置を再検討して欲しい。
道が狭すぎるので、民家敷地内に通じているんじゃないかという恐怖が勝る。。。
その後、細道を走ること、辿り着く。さっきの案内板がどこを指しているのか分からなかったし、正直諦めていたんですがね(笑)。
町屋から産出される斑石に着目し、販売し、広めていき、成功したんだとか。凄い人、偉人ですね。
吉田神社と吉田君父子頌徳の碑(よしだ くんふし しょうとくのひ)
どうする?立ち寄るか?と迷いつつ、立ち寄った。余力が無いので、ここから気になる点を探るだけにした。
幹が太いなぁ...とか、遠くに見えるのは御神木っぽいなぁ立札も見える...とか、切り株から枝が生えているなぁ...とか。
道を挟んで、反対側に石碑が見えた。
吉田神社の神主さんだった御仁の功績を褒め称えた石碑とのこと。詳しい事は載っていなかったが、幕末多難の時代に国事に奔走したんだとか。その御子息もまた教育熱心な方だったようです。凄い人、偉人ですね。
平山君遺徳碑(ひらやま くんいとくひ)と寿蔵碑(じゅぞうひ)
吉田神社を去り、町屋宿通りへの坂を下る。途中、あれも石碑か?と立ち寄ることにした。右の石碑が「寿蔵碑(じゅぞうひ)」。町屋の村長だった人の功績を称えたものみたい。村長の他、村会議員など歴任している。土木事業や警察などに献金して褒章を受けたり、常に人の為に尽くしてきた人。凄い人・偉人ですね。
左の石碑が「平山君遺徳碑(ひらやま くんいとくひ)」。右の人は違う人です。江戸時代~明治時代に活躍した人。名のある所で文武両道に秀でて、河内村村長となり、晩年は塾を創立し、子弟の教育にあたったんだとか。凄い人、偉人ですね。
時代を感じつつも、それ平成
「格差是正協会 町屋 TV共聴」...時代ごとに新しい技術がうまれ、各地に展開されていくのが当たり前のように思う。しかし、もしかしたら、先々まで展開することが大変だったら...このような協会・組織の働きがあって、今があるのだろうかと、気にしたことがない事を浅はかに考えてみたりした。「H9.12」って平成9年か...平成とはいえ30年以上もあると、そんなに「最近」とも思えなくなってきたなぁ。
通行止めの地徳橋を里川左岸から見る
のんびりサイクリングペースで、だいぶ体力が戻ってきたというか、息が戻ってきたような気がしてきた頃。通行止めになった地徳橋を里川右岸から見たことはあったけど、反対側から見たことは無かったなぁとか思って、事前調査していたので行ってみた。ストリートビューで確認していなかったので、こんな下り坂があるとは...と折り返しの坂道を想像して、やや億劫になった。
こっちから見る景色の方が好みかな。来てみて良かった。
ちなみに、以前立ち寄った時の様子(里川右岸)は↓こちら。
参考:2020/03/20 クロスバイクで地徳橋に行ってみた>地徳橋
雑草の成長が、時の経過と手付かずの状態を際立たせているようだった。
とはいえ、この雑草は、たぶん極々最近だと思いますけど(笑)。
ちなみに、地徳橋も復旧予定(国災第1090号・災害復旧工事)があるようなので、まぁ長い目で見たとしても数年以内には復旧するんじゃないですかねー。来春までに復旧出来たら、さすが国災指定って感じがします。
億劫になっていた折り返しの坂道を登り切り、国道349号線に復帰。いつも通りの疲労感に戻ってきたので、ペースを上げ過ぎず、走り続けることにした。
たぶん西宮橋
行きは里川から一般道に、はじき出された区間を、戻りは里川右岸・堤防を通行止めまで走ってみた。途中、木橋1本目と意識していた西宮橋に立ち寄る。こんなに草ぼうぼうで、橋の損壊もこんなに酷かったのかと。橋脚があるだけマシか?草ぼうぼうな感じが関係ないことは分かっているものの、復旧するのかと思ってしまいます。公共工事の発注見通し一覧には...あれ?載っていない。別の資料にあるのかなぁ...。
久慈川サイクリングコースの全体図
久慈川サイクリングコースの国道6号・榊橋付近にある...久慈川サイクリングコースの全体図。ちょっとした歴史を感じる看板です。適当な全体図に見えますが、要所の特徴を捉えているのが分かります。枕石寺と山田川を渡っているあたり...だけぐらいですが。西山荘はコースから遠いな(笑)。袋田の滝や久慈川源流とかも...。
古さを感じるのは、久慈大橋・留大橋が無かったり、幸久橋が国道349号線のメインになっていたり(今は国道349号線・幸久大橋ですね)。里川の渡り方が雑な気がするけど、新落合橋が無い時代なのかなぁ...八幡橋で里川を渡っている?
久慈川サイクリングコースって、昭和40年代後半(47年?)に整備されたものらしくて、けっこうな時間が経過しているようです。そう思うと、このような看板を残すのも、なんか良いなぁとか思います(ちゃんと昭和40年代ものとか記載して欲しいけど)。
今風な新しい全体図も見てみたいので、反対側に設置して欲しい。
「新しい」といえば、「いばらきサイクルツーリズム構造」というのが、近年のネタだろうか。正直、ネットで見かけるまでは知らなかったけど。
参考:茨城県>茨城県の各部局の業務案内>政策企画部>本庁>地域振興課>いばらきサイクルツーリズム構想の策定について
久慈大橋から常井橋(久慈川サイクリングコース)の間で、奥久慈里山ヒルクライムルートみたいな看板をよく見かけて調べたのがきっかけだったと思う。
広域なので、自分の体力では無理!!ってことで、あんまり興味がありません。どうやら、いばらきサイクルツーリズム推進マーケティング調査というのを8月末までやっていたようです。へぇー。
後記
ほぼ乗り始めの頃の体力に戻ったみたいです。前回約50km走り、今回は64.94km...と思いきや、STRAVAにアップロードしたら54.46km...ぇぇそんなぁ。いつの間にか「距離を盛るSTRAVA」から「距離を剥ぎ取るSTRAVA」になってます(笑)。減るのは気分が悪いので、今後はなるべくPanobike+の記録をメインにしよう。...60km走れたッてことで良いかな。マスクしながら走っているから、呼吸が苦しくなるのかねぇ。息がツラい時はズラしていますが、それからでは遅いんだろうな。どっちも、リスキーだなぁ。。。
おわり。
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