木橋復旧を待ち望むtanayasu99(たなやす)です。
前回の記事『吊り橋』を見に行って、実は損壊・崩落していたという内容の、前後の話・薩都神社と地徳橋に立ち寄った話です🚲。
常陸太田市 薩都神社
いきなりタイトルから脱線し恐縮です🙇。常陸太田市里野宮町にある、久慈郡二ノ宮『薩都神社』(さと、さつ、さつと)に立ち寄りました😁。(読み方がいろいろ😌)
「薩」の漢字も2種類あって、なんか大変💦。
敷地内には「里野宮集会所」もあります。
由緒説明板。
手水舎。
鳥居。
ここに立ち寄ろうと思った理由があります。以前、同市内西河内中町を散策した際、『割石』にまつわる話に、この石を使って薩都神社の鳥居を寄進したと伝えられているという内容があったので、気になっていたのです😆。
『割石』の写真はこちらから👆。車1回、チャリで1回、計2回も立ち寄っているw。
...さて、鳥居は木造なので台石に注目するが...あれ...なんかそれっぽくない気がする😅。
うーん、そういうもんなのかなぁ、もう少し『割石』を感じられることを期待していたのですが😑。
...はっきり「里野宮町の薩都神社の鳥居に使われている」という記述は見当たらなかったので、違うのかなぁ。前文に「里野宮の薩都神社は常陸28社のひとつであり、西河内もその氏子になっている」というくだりがあったのだが...。
後日、先人様方の写真を見ていると、なんか鳥居が1つ少なくね?と気付きました💡。
なくなっていた鳥居は石造なので、よりそれっぽい...。あー現地で、台石ぐらい気付いても良かったんじゃなかろうかと、なんだか残念でした😥。
まだまだ余力もあった序盤なのに、こうも観察力に欠けるとはね...。先を急ぎたい気持ちが大きかったか🤔。
忠魂碑
『忠魂碑』。薩都神社の近くにありました。碑は大きく、刻まれた文字もハッキリと見えたので気になり立ち寄りました😅。『元帥陸軍大将子爵川村景明書』とも刻まれています🤔。
「川村景明」を検索してみると、なかなか有名な人っぽい。まずウィキペディアがヒットするw。薩摩出身、1850年生まれ、薩英戦争・戊辰戦争に従軍、日清戦争、日露戦争にも。特に日露戦争では、主力部隊とは別の"使えるか疑問のある軍団"を従え、敵軍が「やばくね?これ強すぎじゃね?!」と思ったのかは分からないが、主力部隊と勘違いする程の活躍ぶりだったそうです。
『鎮魂佐都之碑』。よく見ると、西南戦争、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争と刻まれている。地元の戦没者をここで鎮魂している。
『終戦60周年記念樹 常陸太田市英霊顕彰の会』とのこと。
桜でしょうか。咲いたら見事なのでしょう。
いちおう、公園のようです。「里野宮町運動公園」とのこと。
地徳橋が復旧作業中
地徳橋の復旧(橋梁補修工事)が始まっていたようです😁。ここが通過出来るようになると、サイクリングルートのレパートリーが増えて楽しいことになります。(ぶっちゃけ、渡った事ないんですがね😅。)
紅葉も綺麗な所ですし、今年の地徳橋&紅葉の景色が楽しみです😁。
工事期間は3/25までとなっているので、意外と早いなぁーって思いました。いつからやっていたのか正確には把握していないんで何とも言えませんが😅。
今の時期でも出来るなら、新落合橋の復旧工事も始まるのかなぁーって期待してしまいますね。
後記
ようやく、木橋の復旧工事が始まったかぁ~って感じです。1年経過してようやくですからね。まぁ、冠水した田んぼ、破堤した堤防などなど、優先順位はあったのでしょうから、仕方がない事なのかもしれません。堤防補強工事なんかは部分的には完了している所もありますが、久慈川水系にしても、那珂川水系にしても距離が長いので、終わった感じがしませんね。これからという所もまだまだあるようですし。
あの台風・大雨の事が、「去年の事」とは言えず、「一昨年の事」ですから、本当に時の流れをあっという間だと感じてしまいます😔。
おわり。
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