クロスバイクで小場江堰頭首工(那珂川左岸)に行ってみた その1

2021/05/15

サイクリング 写真

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こんばんは。
永田円水ファンかもしれないtanayasu99(たなやす)です。

クロスバイクで辰ノ口堰(辰ノ口江堰)、岩崎堰(岩崎江堰)には立ち寄った事があり、小場江堰にも立ち寄ってみたいなぁ~なんて企んでいました🤔。

道の駅かつら(那珂川右岸)から見たことはあるので、「那珂川左岸から見てみたい」というのが最大の目的😁。Google標準マップには道らしきものがなく(地図によっては表示されている)、航空写真や他の地図サイトを見て、推測して、なんとなく行けそうな手応えをもちました。

現地での探索時間延長を考慮し、立ち寄り所を少なめに意識してサイクリングです🚲。この記事で、一応到着しますが...。 記事一覧用サムネイル

永田円水が関係している堰を振り返る

永田円水とは、水戸藩2代目藩主・徳川光圀が永田勘衛門(かんえもん)に与えた「号」と伝えられている。数々の水利事業(堰や用水路の建築)には、父・茂衛門(もえもん)も多く関係しているので、勘衛門と茂衛門で覚えています。(号・円水を与えた頃、父・茂衛門は既に亡くなっている。)

辰ノ口、岩崎、小場などの堰を作り、水田に水を送るための用水路も整えた人たち。

もともとは武田氏に仕えて、金山採掘を得意として、黒川金山(山梨県)の経営もしていたそうです。

武田家滅亡により、徳川家に仕えるようになります。黒川金山を含め、徳川領内の金山採掘も行うようになります。

徳川幕府の支配下では金銀採掘が全国的に禁止されてしまったようです。そんな中でも、常陸(現在の城里町)にて錫の採掘にあたるが、価格が下落したので中止。のちに、水戸藩の許可を得て鉱山経営を行った。それらの中には、日立鉱山や町屋金山が挙げられる。

その後に、水利事業ということみたい。

もちろん当時の堰は姿も形もなく、場所も変わっていたりするのですが、水害対策や水田整備に力を入れ続けているのは、先人たちの尽力からなのだろうと感慨深い。

辰ノ口堰

道の駅の近く...とはいえ気軽に歩いて行ける程近い訳でもない😅。辰ノ口親水公園に行くつもりであれば、そこからは近いと言えよう👍。

過去にクロスバイクで立ち寄った事はありますが、あんまりじっくりと見た事はまだないかもしれません😅。
Use Up Life
https://tanayu99-life.blogspot.com/2021/02/HitachiOomiyaFudouNoTaki.html#toc_headline_1
こちらの久慈川右岸・堤防ルートを見つけてからは、よく走っています🚲。国道ルートより遠回りですが、車の脅威からはほぼ無縁なので良いのです👍。

岩崎堰

説明板があり、堰と平行する感じに架かっている橋を歩き、久慈川を渡る事ができます。農作業な軽トラが通過するぐらいしか見たことないけど、いちおう車1台を通す道幅はありました。

クロスバイクで2回ぐらい立ち寄ったのかな。初回は御城からの撤収、2回目は不動の滝からの撤収でした。
Use Up Life
https://tanayu99-life.blogspot.com/2020/12/HitachiOomiyaIwasakiWeir.html#toc_headline_1
旧山方町の領域にあった「岩崎堰」(いわさきぜき)。すぐそばの国道118号は車で何回も走ったことがあり、国道から見えるこの堰が気になっていました。しかし、ストリートビューでは確認できないし、是非立ち寄ってみたかった所です。

泉坂下遺跡(いずみさかした いせき)

さて、立ち寄り所を少なめに...と思いつつ、休憩ついでにね。

数年前に近くをサイクリングしてきて、幟だけは見たままでした😅。今回は初めてガッツリ立ち寄りました。
泉坂下遺跡

常陸大宮が誇る「国指定史跡 泉坂下遺跡」説明板。
泉坂下遺跡
弥生時代の再葬墓(さいそうぼ)の遺跡。再葬墓とは、亡くなった人をいちど埋葬し、一定期間をおいて骨を掘り出して一部を土器に入れ、再度埋葬した墓のことらしい。人骨化待ち?

このような埋葬形態は、弥生時代初頭の東日本を中心に約140遺跡しか知られておらず、貴重みたい🙄。

なかでも、人面を模した土器「人面付壺形土器」は珍しく、数十例しかなく、大変貴重なんだとか😲。

発掘された「人面付壺形土器」が幟に印刷されているのは、その珍しさゆえ、いわゆる「推し」なのでしょう😁。
泉坂下遺跡
「遺跡」と「土器」の2つが国指定を受けたということで、ダブル国指定としても話題になったそうです。

周辺の道路には、このような幟や、看板がたくさんあるのですが、道のりは狭く、車で行く気にはならないのだろうなぁ😥。
泉坂下遺跡

って思っていたら、後日「泉コミュニティーセンター駐車場」に車を停めて、歩いて行ける事が分かりました😂。
参考:常陸大宮市>教育・文化・スポーツ>歴史・文化財>泉坂下遺跡>泉坂下遺跡を見学に来られる皆様へ
Googleマップで調べたら、850m、徒歩10分とのことでした。

余力があれば、「前小屋城跡」(種生院)付近まで散策出来ると、面白いと思います。

三蔵の滝

ただの休憩スポットであれば、立ち寄る事はなかったのですが、説明板を見つけてしまったので...立ち寄り少なめとはいったい😥。
三蔵の滝

玄奘三蔵の「三蔵」みたいです。
三蔵の滝

た...き?
三蔵の滝 三蔵の滝

意味深な...石仏?
三蔵の滝

さっき遺跡跡で休憩したばかりだし...この雑草群では立ち入る気にはならず。
三蔵の滝

なんか良い景色だったので👀。
三蔵の滝

小場江堰までもう少し

ようやく、ここまで来たかって感じ😅。あとは気になっているアプローチ箇所をすべて試してみるだけ...とか効率の良い事はあんまり考えておらず😩。

っていうか、県道21号はアップダウンがあって、けっこう足にきましたw😇。

石の伝説「長者と牛石」

左岸から、小場江堰へ近付くためにストリートビューで見つけた時から気になっていた所🙄。
石の伝説「長者と牛石」

『石の伝説「長者と牛石」-三美』説明板。
石の伝説「長者と牛石」

ざっくりこんな感じの内容👇。
建物を直したり、建てたりする事が大好きな長者が住んでいたそうな。その度に村人たちは手伝っていたそうです。とある建築の際に、牛を酷使してしまい、村人たちから「長者さんが牛を殺してしまった」だの「牛を殺してまで家を建てるとは」など噂されてしまいます。

長者は、牛の亡骸を見て嘆き、牛の大きさぐらいの石を、道端に建てて、朝夕欠かさず拝みに来て、牛の冥福を祈ったんだと。大好きだった建てたり直したりもやめてしまい、牛を家族のように大切にするようになりましたとさ。

率先して(直接的に)長者が牛を酷使したのだろうか?牛の大きさぐらいの石を村人に探させたようだが、なぜ自分で準備しないの?とか揚げ足を取るように邪推してしまいました😅。

まぁ、会社に例えて考えると、参考にはなるかなー。同僚や部下、上司の変化に気付いてあげようとか?

石。昔の牛はこれぐらいだったらしい?...「石ひとつで牛1体」とは記されていないので、もしかしたら複数の石で牛を模したのかもしれない🤔。
石の伝説「長者と牛石」

緒川に架かる緒川橋

おそらく、昔使われていたであろう橋の通行止め🚧。
緒川に架かっていた橋

銘板かなぁ🤔。
緒川に架かっていた橋

欄干と親柱。地味に残っているものなのね😅。
緒川に架かっていた橋

当然ですが、床板は無く。
緒川に架かっていた橋

ついに到着?!

この農道の先に行けそうな道があるのだろうか🙄。
那珂川左岸に向かいそうな農道

「小場江堰頭首工」到着?!...うーん、これ以上は行けそうにないぞ😩。
那珂川左岸から小場江堰

惜しかった...残念でした😥。

後記

なんとなく、牛石の所から下る前に、あっち行った方が良いんじゃなかったけ?って思ってたんですけどね...なんか期待して冒険したくなってしまいました😅。

この後、再び県道21号にて牛石まで登り戻り、探索を続けるのでした🚴。

次回、超接近・小場江堰「クロスバイクで小場江堰頭首工(那珂川左岸)に行ってみた その2」の予定です。

おわり。
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どうも、水戸近辺在住のtanayasu99(たなやす)です。ブログタイトルを変えて再出発な2024年となります。ブログの内容をクロスバイクやサイクリング、その他雑記、気になった商品の備忘録で続けていこうかと頑張ってみます。よろしくお願いします。

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