日立家電は良いぞ~tanayasu99(たなやす)です。
でっかい石碑と、ちらっと見えた大煙突、記念碑が気になり立ち寄ってみたという、少しまとめたお話🚲。
サイクリングルートとしては、でっかい石碑→かみね公園頂上・日立紅寒桜→大煙突の記念碑だったのですが、でっかい石碑と大煙突でまとめておこうかと思い、桜とは別記事にしました。
久原房之助・小平浪平 頌徳碑
でっかい石碑「久原房之助翁 小平浪平翁 碑」。ひと気も無いので、クロスバイクと合わせて撮影したいマン。先ほどの郷土博物館から見えていたので、気になって立ち寄ってみた😗。
くはらふさのすけ、おだいらなみへい 頌徳碑(しょうとくひ)とのこと。
久原房之助 氏は日立鉱山を開業し、発展させた人。日本四大銅山のひとつに数えられたんだとか。他には、栃木県・足尾鉱山、愛媛県・別子銅山、秋田県・小坂鉱山のようです。(銅山と鉱山は同じなのかしら🤔。)
小平浪平 氏は日立鉱山の修理部門から「日立製作所」を創業させた人。世界に名高い日本企業「Hitachi」である。
この碑は、昭和17年庁舎玄関脇に設置されたが、戦後こちらに移設されたんだとか。
ちなみに、2人とも茨城出身ではなかったりします。久原房之助氏は山口県、小平浪平氏は栃木県。その足取り、人物伝を探るのも面白そうだ。
大煙突記念碑と新田次郎文学碑
くたばりそうになりがら頂上まで走り続けて、日立紅寒桜を満喫した後、「大煙突記念碑と新田次郎文学碑」に立ち寄ってみたという😅。いちどここを通過して、見晴しの良い駐車場まで行ってみたのですが、大煙突は見えなかったので、ここまで戻ってきたという😅。見落とした?
あれ?見えねぇなぁーって感じ🙄。どっちにしろ見えんかった💦。
「大煙突」の説明板。話は明治38年(1905年)にまでさかのぼる。久原氏が日立鉱山を創業し、国内四大鉱山のひとつにまで発展した一方、周辺地域の農作物や草木が刈れる煙毒という公害が発生していた。それを解決したのが、当時世界一の高さとなった「大煙突」だったという。
さらりと要約してしまいましたが、詳細はもっと波乱万丈で、かなり大変だったようです。住民や農業従事者、企業、国それぞれがご苦労なさったんだと。
そういえば、まだ見ていないなぁ...映画「ある町の高い煙突」...。予告👇。
人間の身勝手な発展といえば酷かもしれないが、その便利さ享受する一方、公害で苦しむ人間、また危機的状況と認識をもち、改善の努力をする人間。犠牲は仕方がない...とは許されない。立ち向かった人間たちの物語。
だと思う。予告はたくさん見てるんだけどなぁ😅www。
自然環境を損なうことなく、発展するのはいかに大変なことか。もしかしたら、現代においても道路ひとつ造ることさえ、何か大切なはずの自然を犠牲にしているのかもしれないと、身近な所に置き換えて考えてみるのも悪くない。
日立が桜の町となる由縁もここにある。大煙突を完成させただけでなく、植樹を推進させ、なかには桜も含まれていたようです。ストリートビューとかで見てみると、けっこう桜が写り込んでいて、驚いたことがあります。
文学碑。裏側にも刻まれています。
建設後ではなく、建設前に気付いて対策しながら発展していきたい事でしょう。品質保証部とかあって、リスク管理の中にいろんな項目があるのでしょうから、当時のような酷い事には.....いやはや...まだまだあるな。
後記
「日立鉱山」開業者と「日立製作所」創業者の石碑から、大煙突の内容までざっくり学んだ気になれました😅。しかし、もう少しゆっくり見て回りたいので、今度は車で来て、散策したい所です。クロスバイクを駐輪して、あちこち散策するのは気が気でない😟。体力も温存したいしw。
おわり。
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